新老楼快悔 第158話 札幌に舗装道路ができて百年だって!

新老楼快悔 第158話 札幌に舗装道路ができて百年だって!


 札幌市中央区の北三条通りを歩いていたら、道庁正門前に「札幌舗装発祥の地」という碑が目にとまった。説明文を読んで、いまから百年前の大正一三年(一九二四)に、このあたりの道路が初めて舗装されたのを知った。
 札幌が市制を敷いたのが大正一一年(一九二二)八月。すでに函館市や小樽市には舗装道路ができていた。道都とはいえ先進地と比べると、発展はまだ大幅に遅れていたのだ。
 原因は函館、小樽と比べて札幌は積雪が多く、寒冷地の道路舗装にどんな工法があるか研究中の段階だったのだ。もっとも難題とされたのが道路の幅員の広さによる工事費の高騰で、財源がなかったこと。半面、同時に行われた上下水道や電信電話など地下埋蔵物工事は、近くを流れる豊平川などから砂利が豊富に採取できるので、容易に工事がしやすい、それが逆に道路舗装化への動きを鈍らせる形になった。
 道庁は試験舗装ということで、道庁前通りの延長一一八メートル、車道面積一、八五六・五平方メートルを「木塊(もっかん)舗装」とする工事に着手した。木塊舗装とは、函館地方で産出されたブナ(橅)を縦一五センチ、横九センチ、幅八・五センチに切り、防腐剤を注入して路面全体に敷き詰めていく方法で、町中の話題になった。
 道議会でも質問が集中した。「立派な道路ができたのはまことに結構だが」と前置きして、「あれだけの金をかけてわずか百間の模範道路を造る必要があるのか。あれだけあれば、植民道路が何里もできるのに」と厳しい批判の声も出た。植民道路とは開拓地に造られた道路を指す。
 確かに道路の工事費は、植樹帯の整備費も含めて一里(四キロ)当たり四万一五七二円と記録に残っており、植民道路一里当たりの単価七千円と比べると六倍も高い。だが道側は「この方法が最適」として押し通した。
 舗装道路はほどなく完成し、「歩きやすい」と評判になったのはいうまでもない。
 時は流れて昭和五八年(一九八三)、札幌市はこの通りの北東角に「札幌舗装発祥の地 大正一三年」と刻んだ碑を建てた。そして令和六年(二〇二四)の今年、舗装から百年を迎えたわけだ。
 舗装発祥碑の横を車がひっきりなしに走り抜けていく。今年は開拓使が置かれて百五十年になる。碑を見つめながら、偶然とはいえ五十年ごとに町が変化していく歴史的な事実に直面し、その意味合いを重く受け止めていた。



2024年9月6日


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