新老楼快悔 第157話 「碧」の文字がこんなところに

新老楼快悔 第157話 「碧」の文字がこんなところに


 先々月書いた函館の「碧血祭」の旅は、慌ただしくも内容の濃い思い出深い旅となった。その一つが、祭りの会場となる函館山麓に立つ「碧血碑」の「碧」の旧文字が、北斗市郷土資料館(元上磯町役場)に眠っていたこと。
 なぜここにあるのか。同行した函館に住む函館碧会幹部の説明によると、以下のような経緯を辿ったのだという。
 昭和三〇年代のわが国は、朝鮮戦争をきっかけに金属や鉄鋼の需要が高まり、公共施設が被害に遭う盗難事件が相次いだ。碧血碑周辺でも広場の鉄柵や鎖などが盗まれた。
 碧血会の会員らは、夜中に交替で見守り巡回をしたが、その最中の昭和三一年一一月に「碧血碑」の文字板のうち「血」と「碑」が何者かに剥ぎ取られ、盗まれた。犯人は碑に足場を組んでのぼり、バールや金槌を使って下の二文字を剥ぎ取ったものと判明した。「碧」だけ無事だったのは位置が高く、手が届かなかったからであろう。
 盗まれた文字は砲金(青銅の一種)で作られていて、一文字の重さは約六〇キロ。成分は銅九〇%。錫一〇%。戦時中は砲の鋳造に用いられたことでこの名がついたという。製造額は一文字六万七千円。初任給が一万円にも満たない時代だから途方もない金額だ。驚いた役員たちはすぐ函館水上警察署に届け出た。
 事件が解決したのは翌年七月。少年を含む三人の若者が、遊興費欲しさに盗み出し、しばらく犯人の家の縁の下に隠し、後に取り出して形がわからなくなるほど叩き潰して古物商に売り払った。だが特殊なものなのですぐ犯行がばれ、逮捕へ。しかし碑文字は使用できる状態ではなかった。
 碧血会は取りあえず、木製の文字板に銅板を被せて作成し、取り付けてみたが、会員から「昔の金属製に戻せないか」という声が高まり、広く市民などからも寄付を募り、昭和四三年九月に第二代となる新しい「碧血碑」の文字が完成した。
 この段階で古い文字板は役員の手で処分されたのだが、それが旧上磯町に預けられ、今回の訪問でいまは合併で北斗市上磯分庁舎と名前を変えた旧役場内に保存されているのが確認された。
 碧血碑は箱館戦争における旧幕府軍の死者を葬る碑であり、毎年六月二五日に碑前で碧血祭が行われる。その祭りの日に、半世紀も前に引退した初代の「碧」の文字盤に触れて、なぜか不思議な気持ちにさせられた。




2024年8月30日


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