新老楼快悔 第154話 ええっ! パリからサイン
新聞社にいたころから「悪筆」で通っていた。だからいまも自著へのサインが一番の苦手だ。新刊本の表紙を開き筆を持つ、その時の心境は、表現できないほどの苦痛が伴う。
今回は『北のお天気事件簿~極限下の人間模様』(柏艪舎刊)という本を出させてもらった。明治以降、道内で起こったお天気にまつわる事件を合計九四件、取り上げた。
この中には「開陽丸、江差でタバ風に襲われ沈没」など明治、大正期に起こった事件をはじめ、昭和戦前、そして戦後をほぼ一〇年区切りで章を立てて書き進め、最後に「気象と人間の遭遇」として平成から令和の事件をまとめた。
この中でもっとも壮絶なのが一九六五年(昭和四〇年)に起こった北大山岳部六人の冬山遭難。札内川上流の十の沢で、雪洞を掘ってビバーグ中、雪崩に押し潰されて六人が遭難し、リーダーは地図の裏に「書置」を四日間にわたり書き続けていた。
出版してすぐ、ある会合でその話をしたら多くの方々が購入してくれたのはありがたい限りだったが、「記念にサインをしてくれ」といわれ、冷や汗をかきかき何とか終えることができた。
帰宅してほっと一息ついたころ、携帯電話が鳴った。北海道新聞記者で元パリ特派員の後輩からで、その頼みに思わず息を呑んだ。
「パリの知人からサインをしてほしいと頼まれたので、よろしく頼みます」
「ええっ、それ、何の本?」
思わず聞き返したら、なんと二〇〇七年に発行の『大君(タイクン)の刀』(北海道新聞社刊)だという。後輩の話によるとパリに住む知人がパリの古書店で発見して購入したので、著者にサインをしてもらおうとわざわざその本を札幌まで送ってきたのだという。
筆者としてはありがたい話だが、半面、そこまでしてサインを……と、体が震えるほど驚いた。
本を見つめながら、本に問いかけた。「お前は日本で作られてフランスまで送られてパリの古書店に並べられ、そこに住む日本人に買われて、今度は航空便で札幌まで送られ、筆者のもとにやってきたのか」
そう言葉にならない言葉をかけながら、サインを終えた。この本はこれから知人の手によりパリへ送られる。あの日――、大君の刀を追って駆けめぐり、持ち主のブリュネの末裔と会い、ブリュネの墓を訪ねた日が、彷彿として蘇り、なぜか胸が熱くなった。
2024年8月9日
老楼快悔
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