新老楼快悔 第149話 江差で沈んだ開陽丸が……

新老楼快悔 第149話 江差で沈んだ開陽丸が……


 江差沖で沈没した開陽丸の船体の一部が見つかった、という新聞報道に胸が高鳴った。町教育委員会の潜水調査で見つかり、記録撮影した。今後、撮影したデータを基にCGの立体映像「フォトグラメトリー」を制作し、全容解明に進める計画という。この朗報に接した開陽丸子孫の会(本部東京)の会員たちは大喜びだ。
 開陽丸は幕末期にオランダで建造されたわが国随一の戦艦で、箱館戦争を引き起こした榎本武揚率いる旧幕脱走軍の主力艦だが、明治元年(一八六八)一一月一五日夜、暴風雨に叩かれ沈没した。もし開陽丸が健在だったら、旧幕脱走軍は敢然と戦い続け、あるいはわが国の歴史が変わっていたかもしれないとされる。おい、おい、冗談はやめてくれ、という声がかかりそうだが、それほど大きな存在だった……。
 開陽丸に最初に乗り込んだのが、オランダ留学から帰国する榎本だった。幕命により海軍副総裁になると、すかさず乗艦する軍人の服装をそれまでの和服姿から洋装に変えた。この姿に幕閣はもとより見物の市民まで驚いたという。
 時代は風雲急を告げ、将軍慶喜は自ら将軍職を投げ出し、蟄居する。榎本は江戸・品川沖に留めていた開陽丸をはじめ、艦船八隻を率いて脱走し、蝦夷地噴火湾から上陸し、箱館の五稜郭を奪い、蝦夷島臨時政権を樹立する。
 士官以上の選挙により、総裁に選ばれた榎本は、箱館に出先を持つフランス、イギリスの両公使と会い、蝦夷島臨時政権を表明。両公使は「デアフトの政権」とした。事実上、日本国におけるもう一つの政権と見なしたわけだ。
 明治新政府は憤然となった。この存在を何としても潰さねばならぬと躍起になった。その頃、江差の姥神神宮宮司は宮誌に「賊船早く朽ち果てたまえ」と書いている。開陽丸は蝦夷地を荒らす賊艦以外の何物でもなかったのだ。
 宮司の祈りが天に通じたのか、それからほどない明治元年(一八六八)一一月一五日未明、開陽丸は江差沖合で暴風雨のため舵の自由を失い、岩場に挟まれ沈没する。
 榎本は愕然となった。同艦蒸気方一等の小杉雅之進は『麦叢録』に「衆人暗夜ニ燈(ともしび)ヲ失ヒシニ等シ惜ベシ」と書いた。新政府方の攻撃は激化し、榎本軍は敗北へ追い込まれていく。
 江差港の岸壁に、研修施設「開陽丸」が建っている。沈没した海底から収容された遺物の数々が陳列されている研修施設である。今度は船体が見つかり、それを海中保存するのだという。歴史遺産のたび重なる発見に、いま江差の町はどよめいている。




2024年7月5日


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