新老楼快悔 第148話 碧血祭、子孫たちの思い

新老楼快悔 第148話 碧血祭、子孫たちの思い


 箱館戦争で亡くなった旧幕府方戦士の霊を弔う「碧血祭」が今年も函館で催されるので、当日朝、丘珠空港へ赴くと、家族連れの中島永昭さんに出会い、ともに旅する形になった。中島さんは箱館戦争で戦死した中島三郎助の曾孫で、札幌市清田区に住んでいる。
 先祖の三郎助は元浦賀奉行所与力。榎本武揚に同行して箱館に渡り、蝦夷島臨時政権箱館奉行並となり、千代ケ岱台場の守備につく。だが明治二年(一八六九)五月一六日未明、新政府軍の猛攻を受け、長男恒太郎、次男英次郎とともに戦い、相次いで斃れた。
 三郎助はわが国初の軍艦を建造し、黒船来航の折りは、奉行と称して初めて異国人と対応した。教養豊かな文人として知られ、戦死する明治二年の正月には、函館山山頂に近い船見町の咬菜園で歌会を開き、優れた詩歌を残している。
 咬菜園に赴き、中島家の人々とともに往時の雰囲気に浸った後、三郎助が最期を遂げた千代ケ岱台場跡へ。このあたり三郎助が住んだことから「中島町」と呼ばれている。中島さんは「最期の碑」前に立ち、先祖を偲んだ。
 午後二時、碧血碑前で「慰霊祭」が始まった。箱館戦争を戦った榎本武揚はじめゆかりの人たちが、深い祈りを捧げる。この地域の幼稚園の園児たちも大勢やってきて、小さな手を合わせ、頭を垂れた。
 祭主は実行寺の僧侶たちだ。戦火の町に放置されたままの遺体を、柳川熊吉親分が「死んで官軍も賊軍もあるものか」と、子分たちを動員して一夜のうちに実行寺の境内深く運び込んだ。その寺の僧侶たちによる読経が高く低く山間に響き、厳粛な雰囲気があたりに漂った。
 読経の後は浪曲師東家一太郎、美(みつ)夫妻による「義俠熊吉」(笹井邦平作)の一席。その流れるような名調子に、何度も何度も感動の拍手が山間に沸き起こった。
 祭りの余韻にたっぷり浸って翌日、帰宅しようと函館空港に赴くと、榎本武揚の末裔、榎本隆一郎さんと再び顔を合わせた。「父上の隆充さんによろしくお伝えください」と告げながら、拙著『古文書にみる榎本武揚』(藤原書店)を発刊したのが二〇一四年だから、もう一〇年も経過したのか、と歳月の流れの早さに改めて驚いた。
 函館発丘珠行きの飛行機内で、また中島さん一家と一緒になった。機は離陸するなりぐーんと飛び上がり、間もなく降下態勢へ。変化する風景をたっぷり堪能できた。「近く、ゆっくり会いましょう」と話しながら別れる。二日間の余韻漂う夢のような旅だった。





2024年6月28日


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