新老楼快悔 第147話 花街ススキノを伝える石垣

新老楼快悔 第147話 花街ススキノを伝える石垣


 知人の車で、札幌市内を取材して回った。その行く先々がどこも整備されていて、途中、笑顔の外国人カップルと出会うなど、気持ちが晴々する一日となった。
 この日の目的は「札幌の誕生」をめぐる旅。創成川(大友堀)沿いに北から南へ向かう。北区と中央区の境、新幹線札幌駅が出来るあたりは、いまや建設ラッシュの最中だ。そばを流れる創成川は、幕末期の慶応二年(一八六六)、幕吏の大友亀太郎が掘削した人工川だが、それが一六〇年もの歳月を経て、札幌の“新しい顔”として再登場することになろうとは、先人たちもさぞ驚いているに違いあるまいと思う。
 明治維新直後の明治二年(一八六九)、大府建設のため初代開拓判官として札幌にやってきた島義勇は、この大友亀太郎を開拓使に誘うが、亀太郎は拒絶して去る。島もまた僅か三カ月で追われる。だが二代目判官岩村通俊により、創成川を基点とする碁盤の目状の都市造りが始まる。真ん中を大通りで貫き、北側を官庁街に、南側を商家街とするこの街づくりが、現在の札幌の原形となった。
 それにしても札幌創建から今年(二〇二四年)で一五五年。よくアメリカ西部の開発と比較されるが、それほど目まぐるしい飛躍ぶりだったのを改めて知ることができる。
 創成川沿いの大通一丁目に建つ札幌創建の碑の前へ。ここが東西南北の基点で、前方に札幌テレビ塔が見える。この頂上から見る大通公園は整然として美しい。
 駅前通りに戻って南へ歩を進めると、南四条通に至る。この道が国道36号で、先に進むと名高いススキノだ。かつて北海道博覧会が開催された時、旅行客に見せたくないと、市内を走る電車のコースを変えさせたという逸話さえ残っている。
 この花街の一隅に建つのが豊川稲荷札幌別院だ。ススキノの繫栄を願って建立されたもので、境内を取り囲む玉垣、石柱に往時の楼閣の楼主、酒造店、劇場などの経営者の名が刻まれている。
「新見番」「旧見番」「町見番」の刻まれた石柱も見える。見番とは芸妓置屋のことで、客の要請により、芸妓を指定の場所へ赴かせていた。石柱には芸妓の名がぎっしり刻まれている。歳月を経て見づらくなったが、新見番の最上段に「黒清」の名があるはず。時の権力者、黒田清隆の愛妾とされた女性だ。
 ここに立つと、花街ススキノの変遷を見続けてきた玉垣が、何かを語りかけてくるような錯覚にとらわれて、楽しくなる。





2024年6月21日


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