新老楼快悔 第144話 アイヌ民族の身になってみては

新老楼快悔 第144話 アイヌ民族の身になってみては


 戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争から今年は一五五年目に当たる。天皇を担いで戦った官軍方。徳川への恩顧を楯に命を賭けた旧幕府方。その最後の戦いが北海道の函館周辺であり、しかも朝敵とされて領土も失った多くの人たちが、矛盾を抱えて新天地を求めて移住したのが北海道の大地だった。
 それにしてもあの時、もし北海道という存在がなかったら、どうなっていただろうと思う。どこの所有とも判然としない蝦夷地を、天皇の名において日本領土とし、北海道と名付けて、朝敵の烙印を押されて生きる場所を失った人たちに、天皇より譲渡される形で受け取り、入植する方法を採ったのである。
 先住民族であるアイヌ民族は、この目まぐるしいまでの政策の転換をどう見ていたのであろうか。天皇による政治になるのだから「これまでよりよくなる」と期待を寄せたものと思いたい。
 ところが明治政府は明治四年(一八七一)、戸籍法を公布して、「化外の民」としていたアイヌ民族を「平民」に編入し、明治一一年(一八七八)、呼び名を「旧土人」に統一した。そのうえでアイヌ民族を救済する目的で「北海道旧土人保護法」を設けた。だがこれらの施策がアイヌ民族の生活を虐げ、差別と貧困という悲惨な結果を生んでいく。
 具体的に述べると、それまでの生活様式を捨ててすべて和風にする、姓名を変える、土地を持ち、家を建てて住む。獣や魚を捕ったりするのを辞め、畑を起こして種を蒔き食物を収獲してそれを食べる。子どもは学校へ通い、学問を身につける……。
 いい面もあるけれど、戸惑いの方が多かったのは当然だろう。一番困ったのは長く続けられてきた民族の祭事。子グマを育てて一年後に昇天させるクマ祭りなどごく身近な祭事は残されたが、多くは消滅の道を辿りだす。
 アイヌ民族をめぐる動きが活発化し、平成三一年(二〇一九)、国会で「アイヌ民族を先住民族」とする決議がなされ、「アイヌ施策振興法」が国会を通過し、令和元年に同法が施行された。アイヌ民族に初めて光が差し込んだのである。
 これを機にアイヌ民族を見る目が間違いなく変化した。だが知人である年輩のアイヌ女性は「まだまだ」と否定する。長い間の差別的な視点が、知らず知らずのうちに顔を覗かせるというのだ。それはアイヌ民族の立場に立って見なければ、とうていわからないだろう。和人の一人として”小さな努力”をより続けていかねばならぬと、改めて思う。



2024年5月24日


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