新老楼快悔 第143話 公文書に見る「箱館戦争の勃発」
箱館戦争の勃発を示す古文書「太政官日誌」が筆者の手元にある。「箱館賊艦事件第一」から「同第三」まで全部で76頁に及ぶ。古書店で最近、入手したものだ。
「日誌」は明治元年(1868)10月20日、旧幕府脱走艦隊が蝦夷地噴火湾の鷲ノ木村に上陸し、通報を受けた箱館府兵の野田大蔵が、同月26日と11月7日に提出した報告書。冒頭に「官兵死生不詳者左ノ如シ」として、以下、次のように綴っている。文中の官兵は箱館府兵を指す。
一、川汲口エ出張申付置候処行方死生不相分県兵山本希作隊一小隊
一、大野口へ斥候トシテ差遣置候処薄手負箱館在住之者萩原國蔵
一、七重口焚出場へ出張為致置候処戦争ニ混乱シ死生不相分右之通御座候尚相違モ御座
候者追て御届可仕候以上
文面は次に弘前藩、福山(松前)藩、大野藩などの動きにも触れ、戦死者などの氏名を明らかにしている。
「第二」は松前藩届書写で、「大野村戦争之一件」として「敵三人打留 志村進吾 同二人打留 冨永栄八郎 右證人 熊谷幸五郎」「敵一人打留 中村参太郎 敵一人打留 村山剛一郎 同一人打留 尾見幹家来 松太郎 右證人 新藤斧三」といった文面が見え、大野藩届書写、福山藩届書写などへ続く。
注目すべきは「徳川脱艦海陸軍」による奥羽越列藩に宛てた以下の「布告書写」だ。
諸君、御〇(表記:様の右(つくり)部分)知之通我等既ニ身ヲ容ル、
ノ地ナシ去トテ降伏シテ謝スヘキノ罪ナシ茲ニ蝦夷地ハ皇国北門樞要之地ナレハ
此ニ開拓之基ヲ創ト長ク外夷窺窺(ルビ:きゆ)ノ念ヲ絶ントス
此旨先頃江戸腑ニ於テ天朝ヘ嘆願セシト雖モ
廴允准ヲ蒙ル事〇(表記:左上に口、下に耳、右側に去)ハズ…
文面によると蝦夷地へ来て箱館府知事に訴えようとしたが、「府ノ小史共贍小畧浅却テ不意ニ我等ヲ襲撃セリ。我等拠無ク兵ヲ出シテ防御ナセシ處渠等早クモ知事殿ヲ伴ヒ箱館ヲ空フシテ遁去レリ」としている。
続いて弘前藩が津軽青森街奉行名で「御面談申度候間御長官之方一人御上陸被下度敢如此候也」と回答しており、緊迫した空気が読み取れる。その一方で、戦闘への衝突を避けようとしながら、何かの弾みで相争う経緯も見えて、一世紀半も前の文面なのに、なぜか虚しさを感じてしまう。
2024年5月24日
老楼快悔
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