新老楼快悔 第140話 年寄りに忍び寄るもの

新老楼快悔 第140話 年寄りに忍び寄るもの


 突然、高熱に襲われ、救急車で病院に運ばれて、こんこんと眠り続けた。東京にいる孫娘がわざわざきてくれて「おじいちゃん」と呼ばれて、あれっ、と首を傾げてから、また深い眠りに堕ちた。
 やっと意識を取り戻したのは翌日遅く。自分の置かれている状態を把握するまで、しばらく時間がかかった。そしていま抱えている連載物や出版の近い作品に思いをはせ、もう少しやらねば、と自らに言い聞かせた。
 そんな最中、つい三月末まで私の運営する文章教室に通っていた八〇歳の男性から新刊本が送られてきた。彼はこれまでも多くの本を出しているが、最近、文章の粗雑さが気になりだしていた。
 包みを開き、頁をめくって、いきなり頭を殴られた感じがした。同じ頁に「後述するように」という表現が三カ所も出てくるなど、文章の乱れが目についた。教え子でもあり、わが身にも責任があると思いつつ、読んだその一部を掲げる。

 会津藩は後述するように、減藩後、明治2年11月に至り、「斗南藩」という新たな藩の立藩が認められた。なお、大藩仙台藩の石高がほぼ半減し、後述するように、本藩の藩主・直臣よりも、陪臣たる各領主(主に数千石ないし1~2万石ほどの石高だった)とその重臣たちに、大きくしわ寄せられた。つまり、同藩の各領主と家臣たちが、直ちに露頭に迷いかねないような事態が生じ、そのことが後述するように、彼らの北海道移住に大きく影響した。

 読んでがっくり肩を落とした。まさに悪文の典型といわざるを得ない。わずか200字ほどの中に「後述する」が3回も出てくるなど、文章の態をなしていないのだ。
 本というものは一旦発刊されたら、もう元に戻れない。この著者は常々「売れなくてもいい。図書館に寄贈するのが目的」と語るが、それならそれでもっと自らを律するべきではないか、と言いたくなった。
 本を図書館に寄贈する行為は本人の考えによるが、その本を参考書に用いる学生、生徒が実態を知ったらどんな感慨を抱くであろうか。もう一度原点に立ち返ってはいかがであろうか。
 一冊の新刊本から、高齢の坂を登りつつあるわが身にとっても、「書く者の責任」の重さを、改めて突きつけられた一日だった。


2024年5月3日


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