新老楼快悔 第138話 川の流れが地名を生んだ

新老楼快悔 第138話 川の流れが地名を生んだ


 道内の地名はご存じのように、アイヌ語をもとにしたものが多い。それが面白いと、わざわざ各駅停車の電車に乗り、駅名の看板を撮影している旅行客もいるそうだ。
 JR札幌駅から函館本線下り列車に乗り込んでみよう。発車後すぐ、石狩川が時々、顔を出す。河口に位置する石狩は、アイヌ語のイ・シカリ・ベツ。非常に・曲がりくねった・川、から採った。
 列車はこの川に沿い、東に向けて走る。隣町に入り、大麻、野幌、高砂に続いて江別。アイヌ語で、ユペ・オチ。チョウザメ・群がるところ、の意。この地の対雁(ついしかり)は、石狩と並んで早くから開けた地域だ。
 ほどなく岩見沢。この地名は珍しく和名だ。明治初期、三笠・幌内で石炭鉱脈が発見され、大がかりな採掘が始まった。石炭を運ぶ鉄道が建設され、汗まみれの労働者たちは近くの沢で“湯あみ”したことからこの名がついた。鉄道が小樽から札幌、岩見沢を経て幌内まで延び、わが国三番目の鉄道とうたわれた。
 隣町の美唄は以前は沼貝と呼ばれた。アイヌ語で、ピパ・ウシ・ナイ。カラス貝・多い・もの、の意訳だが、大正15年(1926)、音訳に直して美唄と改名した。ここから川にまつわる地名が並ぶ。次の奈井江はアイヌ語で、ナイ・エ。両岸の高い川、の意。続いて砂川は、オタ・シ・ナイ。砂・多い・川、の意。石狩川の流域で大量の砂が蓄積される場所を指す。
 歌志内から流れるパンケ・オタ・シ・ナイ川と、、上砂川から流れるペンケ・オタ・シ・ナイ川がこの石狩川に注いでいる。前者は上手から、後者は下手からくる川の意だが、上手の町はパンケの文字を削って漢字をあてはめて歌志内と名乗り、下手の町は川の名にかかわらず、砂川の上手に位置するとして上砂川とした。オタシナイ川の解釈をめぐる三者三様の視点がそれぞれの地名を生んだわけ。
 次の滝川は、アイヌ語で、ソ・ラップチ・プト。滝・ごちゃごちゃ落ちている・川、の意。石狩川に注ぐ空知川を遡っていくと、かつては何条もの滝が流れ落ちていたという。だが地名のもととなった滝は、現存しない。やがて列車は深川に至る。原野を貫いてオオホ・ナイ、深い・川、が流れている。大鳳川と呼ばれ、その地名に結びついた。
 神秘な光景が連なる神居古潭を経て旭川着。アイヌ語でチュプ・ペッ、日の・川、の意。街を流れる大河が太陽で光り輝いていたので、こう呼ばれた。その音訳から忠別川となり、地名は逆に意訳から旭川となった。


2024年4月19日


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