新老楼快悔 第136話 忙しくも楽しかった一日
時折、想像も出来ないような物凄い日が襲ってくることがある。その日もそうだった。士別市教育委員会主催の講演に招かれたので、この機会に、無理を承知で旭川以北に延びる高速道路の状況の取材をすることにした。
旭川開発建設部にその旨伝えると、折角来てくれるのなら、こちらで現地を案内しましょうという。ありがたく受け止めたのだが、それが相手に大変な負担をかけてしまった。
3月上旬の朝、JR札幌駅を発ち旭川へ。駅前で迎えの旭川開発建設部次長氏と出会い、車で東日本高速道路会社旭川管理事務所へ。ここで所長以下幹部らと会い、高速道路の現状などを示す資料を戴き、近文のインターチェンジから道央自動車道に入った。
この日は曇り空ながら風もなく絶好の取材日和。運転手氏にすべてお任せなので、気楽な旅だ。ほどなく塩狩峠に至る。ここは三浦綾子『塩狩峠』の舞台だ。
明治42年(1909)2月28日、名寄発旭川行き列車がこの峠を登っている時、突然、最後尾の車両の連結器がはずれて、いまきた線路を逆行しだした。車内は騒然となった。たまたま乗車していた長野政雄はデッキに出てハンドルブレーキを力いっぱい回したが、カーブが近づき横転の危険が迫ってきた。長野は一瞬、デッキから飛び降りた。危うく車両は止まり、多くの乗客は救われたが、長野は即死した―。
いま見る鉄路は、改修されて傾斜も緩くなり、そんな危険はないが、わが身を捨てて多くの命を守った長野の行為は、長く語り継がれ、命日には人々が祈りを捧げるという。
車はここからまた一時間ほど走って士別峠へ。この国道239号沿いに立つ「青年流汗之碑」は積雪に埋もれていたが、産業開発青年隊の努力を讃える碑だ。
昭和36年に発足した同隊は働きながら学ぶ青年たちの学校で、寝泊まりしながら建設機械工作所で約3週間の基礎訓練を受け、その後、実際に現場に出て建設機械の運転実務、施工上必要な測量実習などを三交替で体験する。さらに建設機械の構造、運転免許の取得、一般土木工学、一般教養などの学習を受け、卒業する。
この峠に延びる国道の改修工事は、同隊が実習訓練として参加したもので、工事終了と同時にこの碑が建立された。旭川開発建設部長による次の碑文が刻まれている。
若き隊員の「働きながら学ぶ」積極真摯の姿は
逞しく誇り高き勤労青年のモデル像であると信ずる。
士別峠の工事に挑む青年の壮挙を讃えて
碑をこのゆかりの地に建つ。
時折、かつての若き隊員が、幼い孫の手を引いて碑の前に立つこともあるという。
士別で講演をし、車で旭川まで戻って、札幌行き夜行列車に乗り込む。ほどよい疲れが体から抜けていく―。
2024年4月5日
老楼快悔
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