新老楼快悔 第130話 盛会にアイヌ文化フェスティバル
アイヌ文化フェスティバルが開催されるというので、積雪を踏みしめ会場の道新ホールへ赴いた。会場はアイヌ民族はもとより、多くの和人たちが集まっていた。若い外国人夫妻の姿も見え、温かい雰囲気が漂う。
会場に入るなり、藤原書店(東京)の藤原良雄社長に会った。アイヌ文化賞を受ける宇梶シズエさんの本を出版した会社であり、祝福の言葉を述べるのにやってきたという。私自身、この会社で三冊も本を出しているので、その深い配慮に感謝した。
表彰式が始まり、車椅子の宇梶さんが拍手の中、表彰状を受け取った。和服地を用い、伝統刺繍でアイヌの精神世界を古布絵に表現する手法に成功、独創的なアイヌ文化アートを確立させたというのが受賞の理由。
フェスティバルに入り、東北大学の池谷和信教授による基調講演、続いて豊川容子さんの口承文芸、そして釧路春採アイヌ古式舞踊が釧路リムセ保存会により披露され、会場は暖かい雰囲気に包まれた。
民族の伝承芸能を見ながら、私は先年、藤原書店から出した『アイヌ新聞記者高橋真』のことを思い出していた。高橋真記者と出会ったのは昭和三三年(一九五八)春。転勤で釧路へ移り、釧路市役所の記者室に顔を出した時。アイヌ民族の記者がいるのを初めて知り、心底驚いたものだ。そこで起こった私との小さな紛争。
以後、転勤で離れ離れになり、昭和五一年(一九七六)に死去の報が届く。あれから五〇年近くが経過した。
この間にアイヌ民族をめぐる動きは大きく変化し、平成二年(一九九〇)、国連総会で平成四年(一九九二)にニューヨークの国連本部で開かれた国際先住民年開会式で、北海道ウタリ協会野村義一理事長がアイヌ民族を代表して記念講演し、大きなうねりに。
そして令和元年(二〇一九)五月二四日、第一条に「先住民族アイヌ」と明記した「アイヌ施策振興法」が施行された。あの時、私の教室(道新文化センター一道塾)に年配のアイヌ民族の姉妹が在籍し、文章の書き方を学んでいた。塾の終了後に先住民族の話になり、「当然だろう」と言い合い、塾生たちみんなで喜び合った記憶がある。
「私たちの望むこと。それは普通に付き合ってくれたらそれでいいんです」
アイヌ民族の誰もが言うこの言葉を、改めて噛みしめたいと思う。
2024年2月23日
老楼快悔
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