新老楼快悔 第129話 特別展「100年の時を超える」
「100年の時を超える」と題する特別展が札幌市中央区中島公園そばの北海道立文学館で開催中というので、久しぶりに出かけた。まだ二月半ばを過ぎたばかりなのに、この日は穏やかな天候に恵まれた。
胸を高鳴らせて特別展の会場へ。ある、ある、ぜひ目にしたいと思っていた明治、大正期に出版されて、いまでは絶対に見られない本がずらりと並んでいる。
薄田泣薫『白羊宮』(明治39年刊)や北原白秋『思ひ出』(明治44年刊)、蕗谷紅児『悲しき微笑』(大正13年刊)、三木露風『お日様』(大正15年刊)、葉山嘉樹『淫売婦』(同)などなど。
まだある。吉井勇『源氏物語情話』(大正7年)なんて、耳にしたかしないかのような幻の珍本まで、並んでいる。それが私には、少し澄ましたような、少し照れたような感じに見えた。
なぜだろう。その本も、あの本も、名前だけ、いや名前も知らない本までが、急に表に飛び出して、いや、急に持ち出されて、困惑しているのではないかと想像した。だって100年も経て、ですよ。
100年といえば一世紀。90歳になった私がまだ生まれる前に出版された本たちばかり。ひょっとして一度くらいは、どこかで、御目文字したかもしれないけれど、記憶の片隅にすら残っていない本ばかり。
あっそうか。だから学芸員さんたちが日を決めて「ミニ展示解説」やら、その時代の作品を朗読したりしているのだと知り、納得したり、感謝したり。
というわけで、この日のもう一つの目玉、懐かしの映画「燃えよ剣」(松竹、1966年)の上映会場へ。こちらは、かの土方歳三が出てくる幕末もの。遠い日、一度見た作品だが、時期を経て見てみると、違った味がした。いまは映画そのもののありようがすっかり様変わりしてしまったが、古い映画には見る人に訴えようとする芯のようなものを感じた。
確かに演技などにぎこちなさが目立つが、観衆はそれをきちんと受け入れることができる。最近の何が言いたいのかわからない、理解しがたい作品とは大違いだ。
てなことを思いながら、遠く去ってしまったはずの昭和という時代に触れたような気がして、心がほんわかした。一日たっぷり昭和を味わわせてくれた文学館の方々の御苦労に、感謝、感謝です。
2024年2月21日
老楼快悔
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