新老楼快悔 第120話 今年は昭和99年だって!
新しい年が明けた。2024年、令和6年を迎えた。例年なら朝、わが家の神棚に向かい柏手を打つのだが、今年は違う。東京にいる息子夫婦と娘夫婦に招かれて、大晦日の朝、新千歳空港へ飛び立ち羽田へ。そこから箱根へ直行し、旅館で年を越したのである。
新聞社勤めの時、何回か出張先で新年を迎えたことがあるが、夫婦揃って家を空けるのはほとんどない。しかも今回は高齢の身だけに、気持ちを引き締めての行動となった。
羽田で娘夫婦に迎えられ、車で指定の旅館へ走る。途中、“天下の剣”とうたわれる箱根の関所を通り、旅館へ到着。その夜は立派に成長した孫兄弟も合流して賑やかな宴会になり、その果てに麻雀会に発展した。久しぶりに手にした牌にどぎまぎしつつ……。
かくて年を跨いで新年となる。東京へ赴き、今度は長男一家と新年会。孫娘らに囲まれて華やいだ雰囲気の中、のんびりくつろいだ。
今年は昭和元年から数えると昭和99年になる。そうか、99年かと、昭和ヒト桁生まれの私は、自らの生きてきた時代を振り返っていた。昭和戦前の正月といえば、幼い兄弟たちが餅をストーブで焼いたり、ミカンを一切れずつ交換して食べたりした。
小学校に入学してすぐ日中戦争が起こり、そして大東亜戦争に突入した。小国民と呼ばれた子供たちの遊びは「戦争ごっこ」が主流で、将来は軍人になると決意した。ラジオで臨時ニュースが流れると、「勝った、勝った」と喜び、万歳を叫んだ。
だが昭和20年(1945)の敗戦を境に、軍国主義国家は消滅し、自由、民主国家に変貌した。あの凄まじいまでの変わりようは、体験した者でなければわかるまい。世の中のすべてがひっくり返った。それまで否定されていたものが肯定されるのを目の当たりにした。
自由と平等を得た国民の暮しは、昭和63年まで43年間を経て、その後の平成の30年間、さらに現在の令和に至るまで、平和を謳歌している。過去を知る者として不思議な気持ちになってしまう。あの突出した戦争は何だったのかと。
だが危機は近づきつつあるように思えてならない。昭和戦前の空気とは違うが、国民の知らないところで、戦争の火種がくすぶりだしているのを感じるのだ。
たしかに世界はいま、戦火にまみれている。その陰で蠢く強大国家の影。その動きいかんで、いつわが国に飛び火してこないとも限らない。そうなったら若者たちは戦線へ、となるだろう。昭和99年を迎えて、改めて平和を希求する年にしたい、と切実に思う。
2024年1月3日
老楼快悔
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