新老楼快悔 第119話 年の暮れ、思い出すこと
年が暮れる、毎年繰り返されていることなのに、今年はそれが妙に気になる。高齢になったせいなのだろう。周辺の知人が1人、また1人と亡くなっていくのが、わが身に堪えるのだ。
新年を迎えると90歳になる。昭和9年1月5日出生と戸籍に記載されているが、本当は前年の12月20日生まれ。亡き母の話によると年末の餅つきが終わって、手も洗わないうちに生まれた、と聞かされた。
なのに父は、「男は若い方がいい」といい、出生日を半月も遅くして町役場に届けた。昔はいまと違って数え年だったのが理由だ。ちなみに私の姉は12月28日生まれだが、「女は早く嫁いだ方がいい」としてそのまま届けられた。姉は4日後に2歳になった。
だから姉はそのことに時々、不満を漏らした。戦後の昭和22年に「年齢の唱え方に関する法律」が制定されて満年齢が用いられ、この問題は消えたが、当時は年齢を巡って様々な事態が起こった。一歳下だと思っていた女性が、結婚したら実際は上だったなど、笑えぬ騒動が目立った。
さて、高校同期のK君は私と同じ早生まれ。卒業して道開発局に就職し、長く河川の業務に携わったので、道内の河川にめっぽう詳しい。もう30年も前になるが、私は取材で小型飛行機に乗り、石狩川の河口から逆行して大雪山連峰あで次々に写真撮影した。後で写真に焼き付けたのだが、撮影場所がどこなのか検討もつかない。その仕事は途中で打ち切りになり、写真はそのまま手元に資料として残された。
時が流れ、定年になったK君と一献傾け合った時、ふと思い出し、写真を見せたところ、その場ですべての撮影場所の地名を教えてくれたのだ。神業と思うほどで、興奮した。
この写真は以後、私の宝物になった。ごく稀に拙著の中に航空写真が掲載していたら、それはその時のもので、K君の教示がなければ掲載されなかったものだ。
もう1人、小、中学校同期で元炭鉱マンのW君が亡くなった。小学3年生の時、生意気にも2人で文芸雑誌を作ることになり、周囲の友達にも呼びかけて原稿を集めた。ガリ版刷りで作ったこの冊子は、もとより粗末なものだったが、2人にとってはかけがえのない思い出になった。
仏教で「生者必滅会者定離(しょうじゃひつめつえしゃじょうり)」という教えがある。生きるものは必ず死に、会ったものは離れる定めを持つ、という意味である。歳の暮れに、この経文を胸に秘めつつ、生きることの意味を噛み締めている。
2023年12月25日
老楼快悔
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