新老楼快悔 第114話 開拓神社の神々の前で
開拓神社の例祭が8月14日、15日両日、開かれた。北海道開拓に尽くした先人たちを神として祭るもので、神社は北海道神宮の敷地内に鎮座している。
祭られているのは37人の神々である。改めて紹介すると、武田信広、松前慶広、最上徳内、近藤重蔵、高田屋嘉兵衛、伊能忠敬、松田伝十郎、間宮林蔵、村山伝兵衛……、維新前後に活躍した清水谷公考、岡本監輔、島義勇、松浦武四郎、伊達邦成、伊達邦直、黒田清隆、岩村通俊、永山武四郎……ら。北海道といわずわが国の歴史に名を留めた人もいて、多彩を極める。
開拓神社が創建されたのは昭和13年(1938)で、この年は開道70年にあたり、北海道庁が記念事業として、道内各地から申請された中から36人を祭神として選び、祭ったもの。戦後になって一人依田勉三が増祀されて37人。
このように開拓神社の祭神は、戦前、道庁及び同議会が決めたもので、以来、戦争を挟んで85年が経緯したが、その間に「この人物を合祀してほしい」という声が何か所から伝えられた。具体的に人名を上げると、大友堀を開いた大友亀太郎、二代目大判官の松本十郎、コメ作り先覚者の中山久蔵、未開地に挑んだ老医師関寛斎ら。以上のように道内だけでなく他県からの推挙もある。
いま推挙されている方々は、履歴から見ても開拓の神に祀られて当然なのだが、かといって神宮が独り決めするようなものでもない。設立時の推移からいけば、道知事なり道議会が関与するのが筋と思うのだが、戦後政治の柱となった政教分離の建前からいけば、そうはならない。
かくて増祀への動きが高まる中で神官は身動きできず、道庁や道議会も、こと信教に関わることとして沈黙したまま、長年推移してきた。
この膠着状態を何とか打破しようと、前述の四つの関係者は連携を模索する動きも出たが、当たる相手が明確でないこともあって、結局、断念せざるを得なかった。
長い間、北海道神宮の社誌「志づめ」に粗文を連載させてもらっている関係で、招かれて開拓神社の宵宮祭に出かけた。灯明が夕闇に美しく映えている。神職が祭文を唱えだすと、静寂な空気が流れて、開拓の神々がいまにも現れだすような雰囲気に包まれる。この難題を解決する道はないのかと、叫びたいような衝動に駆られて、思わずたじろいだ。
2023年12月1日
老楼快悔
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