新老楼快悔 第111話 白虎隊の生き残り
芦別市野花南に、白虎隊の生き残りの話が伝えられている。
明治末期、芦別の野花南の沢がようやく拓かれ始めたころ、どこからか不思議な男がやってきた。年齢は40歳ほど。物静かな感じで、丸山の六番通りの荒れ地に入植し、開墾を始めた。いつも一人で何か考え事をしているように見えた。
そのうち集落の若者たちを相手に棒術を教えたりするので、人々は何か訳ありの人に違いないと密かに話し合った。
ある日、男は、近くで働く人に、涙ながらに語りだした。それによると若いころ会津の白虎隊に参加して激闘を生き残り、今は世を忍ぶ身であるという。話を聞いた人々は涙し、深く同情した。
男は人々と交わる中で、貧しい人に手を差し伸べるなどしたので、尊敬される存在になっていった。
そのころ近くに、父と別れた母子連れの家族がいた。幼い息子と娘を抱えて苦しい暮らしをするのを見た男は、毎日、その家の畑に出かけて、日の暮れるまで働いた。やがて子どもたちは大きくなり、息子は浦臼方面の仕事に移っていき、娘は畑仕事の暇を見ては、近くの子女たちに和洋裁を教えるようになった。
そんな時、別れ別れになっていた父親が突然、姿を現した。少し離れたところで暮らしているという。母娘は思案にくれながらも、父親のもとへ走った。残された男はしばらくその家で一人寂しく暮らしていたが、いつしか姿を消した。
父親のもとへ行った家族たちはその後、父親が造材作業中に事故死し、娘、母が相次いで大病になり、暮らしが一変してしまった。それを聞いた野花南の人たちは、恩を仇で返したことへ報いだと語り合ったという。
戊辰戦争が起こり、朝敵とされた会津藩は官軍の薩摩、長州に攻められ、白虎隊の少年たちは集団自決に走った。白虎隊を名乗った少年グループは、このほかにも多数あり、男はこの中に含まれていた一人だった、と判断できる。
戦いが終わり、下北半島の地に藩ごと“流罪”にされる。男も以後、逆賊のレッテルを貼られて密かに生き、北海道の地までやってきたが、ここも安住の地ではなかったのだろう。それを思うと明治維新という革命がおぞましい一面を剝き出しにして迫ってくるのを覚えて、身がすくむ。
2023年11月10日
老楼快悔
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