新老楼快悔 第109話 新聞の「おくやみ欄」に思う
“時代遅れ”の小生の一日は、朝起きて、配達された新聞を読むことから始まる。布団の中で新聞を大きく広げ、興味のある箇所から目を通していく。たっぷり一時間かかるので、両手がしびれないよう配慮しなければならない。
最近は「おくやみ欄」を見て、時々、はっとさせられる。旧知の氏名にぶつかって、慌てて葬儀場へ、ということもあるのだ。以前は地域版に「誕生欄」というのがあり、生まれた赤子の名前が両親と並んで掲載されていた。私の場合、長男が生まれたのは釧路だったが、その時の新聞を長い間、記念に保存していたものだった。
話を「おくやみ欄」に戻して、最近、気になる掲載文にぶつかった。札幌市豊平区に、夫妻と思われる同じ姓の男性(76歳)と女性(75歳)が並んで載っていた。文面によると、妻が亡くなった5日後に夫が亡くなり、葬儀終了と記されている。喪主などの記載はない。
夫妻の最期がどのようなものであったか、想像するほかないが、病床の妻が亡くなり、それを追うように夫も亡くなったのであろう。肉親はもとより、周囲の人々の驚きはいかばかりであったか。
同じ紙面の滝川市の欄に、同姓の男性(84歳)、女性(90歳)、先月24日死去。喪主として義弟の名が記されていた。亡くなってすでに3週間以上も経過していた。高齢の夫妻が同じ日に亡くなったとは。
思うに、この老夫婦は誰にも看取られることなく相次いで亡くなり、しばらくして発見されたのであろう。肉親の子供もなく、あるいはいても存在がわからず、夫妻のどちらかの義弟が喪主となり、葬儀を営んだのであろう。
最近は独り住まいの“孤独死”が時折あると聞いていたが、この夫妻の場合、どちらかが先に亡くなり、残された一人はそれを知らせることもできないまま亡くなった、と推察できる。このような場合、犯罪性がなくても警察官の検視が必要になる。ちなみに死亡日は検視の医師なり、場合によっては僧侶が決めねばならない。
別の項目を見ていくと、喪主と並んで、葬儀委員長の氏名が記されているのが多い。過日、近親者を亡くして葬儀に参列したわが身だけに、紙面から葬儀がどんなものであったか。集う弔問者の息づかいまで感じられる。
かくて毎朝、「おくやみ欄」を眺めては、合掌する日々が続いている。
2023年10月20日
老楼快悔
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