新老楼快悔 第107話 あっという間に過ぎた一日
時々、目の回るような日にぶつかることがある。9月下旬のある一日は、老齢の身には堪えたが、思わぬ体験をさせてもらったと感謝している。
東京にいる息子が仕事で久々に帰郷すると知らせてきた。息子の作曲した新曲が発売になり、そのキャンペーンで女性歌手と同行して札幌に来るのだという。前日、マネージャー役の嫁が先乗りしてわが家を訪れており、よほど力を入れているものと推察した。
その日、妻、嫁とともに札幌市中央区のキャンペーン会場であるレコード店内へ足を運んだ。元気な息子の姿に安堵する老妻。やがて、ファンとおぼしい年配の人たちが一人、二人とやってきて、狭い店内はほどよくいっぱいになった。
女性歌手が拍手の中、登場して、息子作曲の新曲を歌い上げた。それを聞きながら遠い昔のことを思い出していた。
息子が自作の新曲でデビューしたのは40数年前。まだ10代だった。単身、上京してその道を歩き出すがなかなか売れず、よほど苦労したらしい。だが、親元には泣き言ひとつ言ってこず、こちらもあえて触れない。ただ健康で生きていればいい、と願った。
そんな息子がやがて驚くような動きを見せ出す。毎年一回開かれる歌手協会の歌謡祭の構成、演出、司会などを一手に引き受けるようになったのだ。もとより組織の一員としてだが、出演歌手の交渉から当日の舞台の運営まですべてを企画し、実行に移した。
どこにそんな能力が潜んでいたのか。舌を巻くような動きだが、私には理解できた。“音楽バカ”といわれるほど音楽に没頭しまくる男の、ある意味、到達点だったと思えた。だが、息子本人にとって、それは到達点ではなく出発点だった、といまにして思う。以来、この歌謡祭は毎年、一回、大勢の歌手が出演して、“夢のステージ”を展開する。
特徴的なのは司会のやり方。自分だけでなく、複数の女性歌手と組んで展開していくのだ。著名な女性歌手と掛け合いで出演歌手を紹介するという舞台は、ほかになかろう。
以前は華麗なそんな舞台にいささかしり込みし、背中がざわついたものだ――と、思い出にひたっているうちに、キャンペーンは終わった。
慌ただしい一日があっという間に過ぎた。久しぶりにわが家に宿泊した息子夫妻は翌日、「歌謡祭にきてね」の言葉を残して、東京へ戻っていった。そうか。歌謡祭か。病み上がりの体だが、これが最後になるかもしれないと、いまから心の準備をしている。
2023年10月13日
老楼快悔
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