新老楼快悔 第106話 夕刊が消えた、新聞が危ない
北海道新聞が2023年9月いっぱいで夕刊の発行を辞めた。長い間、新聞社に勤めた身だけに、次は朝刊か、とおののきを隠せず、情けない日々だ。
ひるがえって、新聞を意識したのは小学5年生のころ。近所に新聞販売店があり、その店の男の子が一年後輩だったこともあり、面白半分に始めた。2歳下の弟にも声をかけて、わが家に一番近い地域を担当した。
朝5時前に、貨物列車が駅に到着すると、店員が新聞の包みを販売店まで運び、配達区域ごとに配る部数を分ける。配達員は全員小学5、6年生か高等科の子どもたち。新聞を抱えると一目散に走り出す。
私たち兄弟は毎朝、母に起こされ、眠い目をこすりながら新聞店に赴き、80部の朝刊を受け取り、一軒、一軒、玄関口へ新聞を差し込んでいく。順路帳というのがあり、それに従って配っていけば30分とかからない。
ちょっと辛いのは、自宅前で新聞が届くのを待っている住人の存在。姿を見ると全力で走り、「新聞!」と叫んで手渡す。「ごくろうさん」と笑顔で受け取る年配の男性に、何度励まされたことか。
忘れられない失敗談がある。朝、配り終わったのに、新聞が一部、手元に余ってしまったのだ。どこに入れ忘れたのか。青くなり、必死になって配達順路を辿ってみたが、わからない。
どうしよう。このまま学校に行って、後で販売店に苦情が入ったら、大変なことになる。かといって、一軒一軒、確かめて回るほどの時間の余裕もない。
結局、販売店主に事情を伝えてそのまま学校へ。下校後、おそるおそる販売店へ行ったが、苦情は入っていないという。なぜだおる。一部余ったのは間違いないから、配り忘れがあったのは動かせない事実ではないか。
本気になって考えた。だがこの問題は、解決できないまま、何事もなかったように消えてしまった。真実はどこにあるのか。最初から一部多く入手したとしたら、余るのは当然だろう、とも考えたが、釈然としなかった。
後年、新聞記者になって、新聞を確実に届けることの重要性を、痛いほど知らされた。
その大事な一翼を担う夕刊が消えた。時代の趨勢とはいえ、次は朝刊にまで及ぶことになりはしないか。想像もできなかった事態に直面して、ただ呆然とするばかりである。
2023年10月6日
老楼快悔
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