新老楼快悔 第101話 高松凌雲の子孫との出会い
雨上がり、6月25日の日曜日、函館山麓に建つ碧血碑前で慰霊祭が催された。函館市民だけでなく、道内外から歴史ファンも含めて大勢の人々が集まった。
東京から榎本武揚の末裔、4代目隆充さん夫妻、5代目隆一郎さんはじめ親族係累の方々も参加し、地元函館の実行寺住職による読経が響きわたる中、時を超えて立つ碑を見上げつつ、先人の冥福を祈った。
榎本隆充さんとは拙著『咸臨丸 栄光と悲劇の5000日』(北海道新聞社刊)を発刊した直後、咸臨丸子孫の会の総会で、隣同士になって以来だから、もう20年にもなる。その出会いが『榎本武揚 思想と生涯』(藤原書店刊)の出版に繋がった。会うなり年齢の話になり、笑い合った。互いにもう90歳目前の超高齢者なのだ。隆一郎さんは髭を生やしていて、榎本武揚そっくり。全身に流れる血を強く感じさせられた。
ここで思いがけない人物に出会った。高松凌雲から4代目になる高松省三郎さん。72歳。福岡県みやま市からやってきた。白く長い髭。手にする長い杖は梅の木だ。
「一度、先祖が歩いた土地を歩きたいと思い、やって来ました」
そう言って感慨深い表情を崩した。
長く病院の職員として勤め、定年退職後は妻と二人、悠々自適の暮らしという。決して豊かではないが、それでいい。淡々とした口調。話を交わしているうちに、榎本武揚とともに蝦夷地を目指し、戦闘で負傷した兵士が出ると、敵味方なく治療をした凌雲の面影が浮かび上がるような思いにかられた。ちなみに凌雲の本名は荘三郎。名前までよく似ている。
碑前祭が終わり、高松さんが榎本さんのもとに近づき、話を交わしている。何を話しているのか私にはわからないが、あの日――、五稜郭落城の直前、武揚が負傷した少年兵を、凌雲のいる湯の川の野戦病院へ送り届けた模様を想起して、体が燃えた。
祭り事務局長の運転する車に同乗させてもらい、祭場を後にした。私を先に送るというのでそのまま函館駅へ。ここで別れを惜しんだ。高松さんはホテルに戻るという。
札幌のわが家に戻ってその翌朝、五稜郭の箱館奉行所から電話が入った。
「いま高松さんという方が来られて、先生の本を購入したいというのですが」という。
実は祭りの前日に奉行所内で私の講演会があり、その折に販売した『夜明けの海鳴り―北の幕末維新』(柏艪舎刊)といおう本の残りものだ。
「どうぞ、私からのプレゼントだといって渡してください」
と言い、電話を切ってから、よくぞ奉行所まで行ってくれた、と感謝の気持ちであふれ、絆がより強まるのを感じた。
2023年8月25日
夜明けの海鳴りの詳細は
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