新老楼快悔 第98話 知床沖合の船上で遭難者らの慰霊祭

新老楼快悔 第98話 知床沖合の船上で遭難者らの慰霊祭


 先にも触れたが、拙著『生還』(『裂けた岬』を改題)を発刊したのがきっかけで、中標津町に住む石村勝彦さんに招かれ、知床半島沖洋上慰霊法要に出席した。石村さんの祖父は長年、『生還』に登場する乗組員たちの霊を守ってきた人で、その姿を子供の頃から見てきたという。
 7月8日正午過ぎの飛行機で飛び立ち、あっという間に中標津空港に到着。出迎えの石村さんと初めて顔を合わせて挨拶し、そのまま車で慰霊祭の祭場へ向かう。空港から祭場となる羅臼町まで、内陸に延びる直線道路を走って薫別へ。ここから海沿いの国道335号沿をざっと80キロ。二時間余りかけて到着した。
 本を書いて30年近い。岸壁に立ち思い出に浸っていたら、いきなり名前を呼ばれた。おおっ、川端隆さんだ。お互い老けたが、顔は忘れない。久々の再会に疲れが吹っ飛んだ。



 控室で待つ間、慰霊に参加する人たちと雑談になり、当然のように食人をした船長の話になった。思い起こせば雪の降る朝、初めて船長宅を訪れた時の様子、以降、15年もの長い間、追い続けて、結果的に船長を苦しめてしまった自分への贖罪まで話は及んだ。
 時間になり外へ出る。快晴で波は穏やか。岸壁に用意された船に乗り込む。船長は27歳の若い男性だ。普段は遊覧船なのだが、きょうは特別に慰霊船の役目をする。僧侶や関係者らざっと30人ほどが乗り込み、船はゆっくり動き出した。洋上に浮かぶいまは異国の国後島がぐんぐん近づく。国境線近くで船は停止した。
 読経が海面を這うように流れだした。そうなのだ。この海峡でどれだけ多くの命が失われたことか。遠くはクナシリ・メナシの戦いで亡くなったアイヌの人たちをはじめ、最近はこの岬の裏側(西側)で起こった遊覧船の沈没事故まで…。



 『生還』で取り上げた輸送船はもともと漁船で、船長以下の乗組員も全員漁民で、軍に徴用された人ばかり。この沖合を航行中、機関故障を起こして座礁。乗組員らは積雪の浜辺に降りるが、吹雪と寒気のため相次いで倒れ、船長と少年だけが助かり、番屋で過ごすうち、少年は絶命。船長は少年の肉を食い、生き延びる。
 石村さんによると先頃、羅臼神社境内に戦没者慰霊碑があり、そこに羅臼出身の南方戦線で戦死した61柱の氏名が刻まれているのを発見。「慰霊祭の前に御英霊に呼ばれたような気持ちがした」という。
 海上慰霊祭はゆっくり時間をかけて滞りなく終わった。石村さんは「お陰様で素晴らしいご供養ができました。仏様のご加護に心から感謝しています」と述べ、涙まじりの汗を拭った。


2023年8月4日


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