新老楼快悔 第84話 劇団文化座の創立80周年を祝う
劇団文化座から創立80周年を祝う会の案内状が届いたのは昨年暮れ。コロナ禍で一年遅れの開会という。すぐに「出席」の便りを認(したた)めながら、過ぎしあのころを思い浮かべていた。
拙著『流氷の海に女工節が聴える』(新潮社)が出版されたのは昭和55年(1980)だから、もう40年以上も前。いまは北方領土と呼ばれる国後、択捉、歯舞など島々のカニ缶詰工場で働く女性工員たちが、働きながら歌ったという「女工節」の存在を知り、それをもとに取材してまとめた作品である。
出版してほどなく女性から電話を受けた。それが文化座の鈴木光枝さんだった。穏やかな口調で、「この作品を舞台で上演したい」と告げられて、驚きながら承諾した。
この電話から一週間も経たずに松竹から映画化の申し入れ、続いて朝日放送からテレビ化の話、札幌の劇団「新劇場」から公演、また道高校演劇連盟から合同公演と次々に話まできた。映画は途中で立ち消えになったが、その反響の凄さに肝を潰したものだった。
文化座の公演は創立40周年記念として昭和58年(1983)2月25日から3月6日まで12回にわたり東京・俳優座劇場で開催された。光枝さん演じる元女工の老婆が、宗谷岬からいまは異境となった北方領土を眺める場面は、いまも瞼に焼きついて離れない。初日の終演後、舞台に引き出された私は、強烈なライトを浴びて立ち尽くすだけだった。
そんなことを思い浮かべながら、祝賀会場の東京・椿山荘へ赴いた。広い会場はすでに参会者で埋まっていた。一テーブル八人ずつのグループが六十席ほど、四百数十人が座っている。すぐ近くに女優の樫山文枝さん、栗原小巻さんの姿も見られた。
ステージでは言葉劇、マジック踊り、劇中劇などが繰り広げられ、豪華な食事を戴きながら、夢のような一時を過ごした。
佐々木愛さんの挨拶で終演になり、帰り際、愛さんの娘の明子さんと久しぶりに会い、挨拶を交わした。もう40年近く前、愛さんが幼子の兄妹を連れて中標津のムツゴロウ王国へ行くというので、夜遅く札幌駅を出発する前、一緒に食事をしたことがある。
「あの時、小学生だったのに。こんな年齢になりました」
「私もこの通り、お爺さんで…」
そう言って笑い合った。その直後に若い女性と会った。明子さんの娘の琴音さん。祖母の愛さんの愛孫でデビューしたばかり。記念に写真を撮りながら、文化座という財産が光枝―愛―明子―琴音と継承されていくのを実感した。と同時に、女系四代を知る人間などほかにいるまい、と遠い日を思い浮かべていた。
2023年4月21日
老楼快悔
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