新老楼快悔 第77話 亡き人の”置き土産”
昨年二月、幼なじみのK君が亡くなった。三〇代半ば過ぎに久しぶりに会った時、地元の銀行に勤めている、と話していた。端正な容貌は子どものころから変わらず、あの時代へ引き戻された。
会話は当然のように友人たちの消息に及んだ。かつての乱暴者のO君が故郷の町議になったとか、炭鉱勤めのM君が落盤事故で死んだなどと言う情報に、喜びと悲しみが交錯した。
こんどは互いに連絡を取り合い、三年に一回くらいは会おうと約束して別れた。年賀状だけはやり取りしていたが、約束はいつしか吹っ飛んでしまい、歳月が流れた。はっと気がついた時は、互いに定年を過ぎて、いまは同じ札幌市内に住む身になっていた。
電話をかけ、「俺が悪かった」と言うと、「いや、俺のほうだ」と返してきた。その口調が子どものころとまるで変わらない気がして、ほのぼのとした気分になった。結局、今度こそ会おうと約束した。
また歳月が流れた。振り返ると、責任はこちらにあったと断言できる。新聞社勤めの時はたしかに忙しく、取材で各地を飛び歩き回っていたし、定年になってからも大学の講師や著書執筆の取材で、家を空ける日が多かった。
電話だけでもしなくては、と思いながらも、それさえ怠ってしまった。
忘れもしない。あの日、携帯が鳴った。K君からだ。どきっとなった。
「新刊本が出たのを新聞で読んだ。忙しいようだな」
慌てて話に応じながら、今度こそ、と返すと、
「元気なのは何より。お互い八十路だ。電話だけでもいいじゃないか」
「うん、そうだな。しかし…」
「まあいい。機会はあるさ、きっと」
電話が切れてから、しばらく動けなかった。いますぐ待ち合わせ場所を決めて、車で出かけたら済むことではないか。それを怠ってきた自分を責めた。
しっぺ返しは突然やって来た。年の暮れ、一枚の喪中葉書が送られてきた。そこにK君の細君の名でこう書かれていた。
「夫K、二月一二日、八十九歳で永眠いたしました。平素のご厚情を深謝いたしますとともに、皆様に良い年がおとずれますようお祈りいたします」
亡くなって、もう十カ月も経っていたとは。心の中で詫びた。詫びても詫びても、詫びきれない思いだった。そして、会えないながら、陰から支えてくれた友情あふれる言葉こそ、K君が残してくれた〝置き土産〟なのだ、と思い、瞑目した。
2023年2月28日
老楼快悔
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