新老楼快悔 第75話 舞台のエネルギーに酔いながら
自分の作品に関わる催しは、やはり気になる。以前に書いた本の朗読会とか、それをもとにしたテレビ放映など、気にしなくていいのに、やはり見なければ納得できない。
先日も、自身が少しだけ出るテレビ番組だったので、ビールを飲みながら見た。録画番組というのはよけいな部分をカットしてうまくまとめるので、気楽な感じだ。
だが演劇の舞台というのはどうだろう。舞台の終了後に、出演する男性俳優二人とトーク、と出版社を通じて連絡がきた時は、一瞬たじろぎつつ、恐る恐る引き受けた。
上演作品は武田泰淳作『ひかりごけ』だが、さらに私の『裂けた岬』(後に『生還』と改題し発刊)も入れ込んだ内容になっているのでぜひ、というわけだ。
当日、札幌市中央区の演劇会場に赴いた。百人ほどの小さな座席はすでに満員。舞台が始まり、四人の役者の見事な演技と素早い舞台転換に、一気に引き込まれた。凄いのは四人全員が、舞台の変わるのに応じて、二役、三役をこなしていくことだ。
食べ物のない洞窟の中で、飢餓の果てに衰弱して死んでいく人。その肉を食べて最後に生き残った船長と少年が対立し、挙げ句の果てに少年を殺して食べる船長。そして舞台は裁判の場へ。
鬼気迫るまでの迫力に満ちた演技に何度も息を呑みながら、舞台は終了した。間を置かず、舞台に上げられた。船長役と校長役を務めた斎藤歩さん、八蔵役など三役をこなした納谷真大さんに挟まれてのトークの会である。
私は、60年前に釧路区検察庁の副検事から入手した判決文の写し、証拠写真などを示しながら、取材の経過を述べた。
「船長の自宅を初めて訪ねたのは昭和50年の雪の朝。船長は手拭いを頬かぶりして除雪をしていた。戦前のあなたの話を聞きたい、と問うた時、船長は無言のまま立ち尽くした。その時、初めて踏み込んではいけない領域に踏み込んだのを自覚したのです」
取材は船長が亡くなるまで15年間も続いた。船長が心を開いてくれたのは、取材を始めて七、八年後。「知床岬に慰霊に行こう」と誘った時、同行を約束してくれた。理由は「死んだら乗組員のみんなともう会えなくなる」。
えっ、と思い、なぜと問うと「乗組員たちはみんな天国にいる。俺は死んだら地獄だ。だから…」
こんな私の話を、聴衆者は真剣な表情で聞いてくれた。
トークが終了して聴衆者が舞台に近づき、提示した資料を見ながら感嘆の声を上げた。そこで思いがけず、作家の桜木紫乃さんが来場していたのを知った。釧路出身の桜木さんは、私に事件の資料をくれた副検事の娘さんが茶道の師匠で、その教えを受けたことがあるという。
不思議な縁を感じながら、事件担当記者として駆けずり回っていたある頃を思い返して、しばし感慨にふけった。
2023年2月14日
老楼快悔
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