新老楼快悔 第72話 「若者たち」を口ずさみながら

新老楼快悔 第72話 「若者たち」を口ずさみながら


  君の行く道は 果てしなく遠い
  だのに なぜ 歯をくいしばり
  君は行くのか そんなにしてまで

 歌謡曲「若者たち」を聞くと、いまも若かった山本圭や田中邦衛らの姿が瞼に甦る。
「若者たち」は昭和47年(1972)にドラマ化された「若者たち」(主演、山本圭)の主題歌で、作詞藤田敏雄、作曲佐藤勝。日米安保条約反対の学生運動が燃え上がる中で、条約は自動延長になり闘争は消滅。行き場のない怒りや悲しみを抱いた若者たちの心情を詠んだ歌として流行した。作曲を担当した佐藤勝さんは私にこう話している。



「映画監督から詩を手渡され、車で帰宅途中、ふいに曲が浮かんだ。すぐタバコの箱の裏に略譜を書いた。すーっと書けて。学生運動という背景の中でこの曲は生まれたんです」
 勝さんは映画音楽の作曲者の第一人者といわれ、黒澤明監督の映画「蜘蛛巣城」「用心棒」をはじめ、多くの監督の映画音楽を担当した。関わった監督は96人、制作した映画は308作品にのぼる。だが歌謡曲の作曲は「若者たち」を含めても数えるだけ。



 勝さんとは出身地が北海道というので、何度もお会いする機会に恵まれた。札幌に来た時は、時間を見つけて声をかけ合い、会った。
 忘れられない思い出がある。夕刻、私の勤務する会社で待ち合わせて、ススキノにある勝さん馴染みの店へ。音楽喫茶のような店で、ピアノが置かれている。入るなり、拍手が沸いた。事前に「顔を出す」と伝えていたらしく、勝さんの知人も何人も来ていた。しばらく歌声が響いて、拍手とともに“勝さんコール”が起こった。勝さんはやおらピアノの前に座り、「若者たち」を弾きだした。ホール内の人たち全員が曲に合わせて「君の行く道はぁ」と声を張り上げた。
 終わって勝さんはみんなに「ありがとう」と挨拶し、照れたように微笑んだ。
 勝さんは故郷のためにと、留萌で「佐藤勝映画コンサート」を3回も開いた。最後の平成9年(1997)の公演は、留萌市開基120年を祝うもので、記念式典と映画「用心棒」の上映後、勝さんのコンサートが催され、超満員の観衆は心地よく酔いしれた。
 勝さんが亡くなったのは平成11年(1999)暮れ。叙勲を受け、その祝賀会が始まってすぐ、胸を抱えて倒れ込み、間もなく息を引き取った。享年71。
 留萌市の黄金岬に「若者たち」の五線譜を刻んだ歌碑が設置され、勝さんの文字でこう刻まれている。




 うまれたときのまま この海この音 私は留萌の語り草になりたい

 小雪舞う日、留萌に出かけた。黄金岬に建つ「若者たち」の歌碑を見つめながら、そっと「若者たち」を口ずさんでみた。風が唸りを上げて通り過ぎた。

2023年1月24日


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