新老楼快悔 第67話 ええっ、息子とテレビ共演!?
本当に参った。よもやこんなことになろうとは、息子が出演するテレビ番組に、父親の私まで出演することになろうとは。
話の始まりは東京に住む息子の電話から。息子は音楽関係の仕事をしている関係で、テレビやラジオにしばしば登場する。その一つが武田鉄矢の「昭和は輝いていた」(BSテレビ東京)。テーマが歌謡曲になると、よく顔を出す。
息子の電話によると、軍歌の「加藤隼戦闘隊の歌」に絡んで、加藤建夫のことを問われたので、「よく知っている」と答えた。私が小学生の時、旭川出身のこの軍人は戦闘中、敵弾を受け戦死し、「軍神」と崇められた。
「その時の新聞、いまも持っている」と言うと、
「えっ? すぐ送って!」といわれた。
少ししてまた電話がきた。今度は北海道で起こった洞爺丸台風と北大山岳部の遭難に絡むものだった。隼戦闘隊はこの時点で消えてしまい、別物に焦点が移ったようだ。
「洞爺丸台風のことはよく知っている。いまも号外を持っている。二つ目の北大の登山部の遭難は、新聞記者として現場に赴いた」
「ええっ、そうなの」
そのうち話が急ピッチで進み、息子と一緒にテレビに出演し、その当時の話をする、という展開になった。歌謡曲になった歴史的事件、事故を紹介しようというわけである。
正月の放送というのに、まだ雪も降らない秋深まる日、わが家にインターネット機器が持ち込まれた。スタジオとの結んで会話する場面をテレビ収録するというのである。インターネットによる録画撮りは何度か経験したが、画面の向こう側に息子がいるというだけで、いささか照れた。
狭い仕事部屋が慌ただしく整えられた。出演の武田鉄矢さん、加藤登紀子さんとネット越しに挨拶を交わしてから、いよいよ本番。やるっきゃない。腹をくくった。
最初は洞爺丸台風。現場に赴いた同僚のカメラマンの話を軸に、想像を絶する台風の猛威を語った。流れる歌声。武田さんの質問に、
「この歌は北海道ではあまり流れませんでした。悲しすぎますものね」
などと答える。続いて北大登山部の学生が雪崩に埋まったまま、地図の裏に書き綴った「遺書」の話。遭難現場にようやく足を踏み入れたものの、何もできずに立ちすくんだ思い出が頭の中を走馬灯のようによぎり、話しながら胸がいっぱいになった。
二時間の特別番組なので撮影は長々と続き、終わった時、疲れがどっと襲った。
さて、本放送は来年の1月13日。89歳の誕生日を迎えたばかり。長生きをすると思いがけないことが起こるという、まか不思議な体験談の一席。
2022年12月9日
老楼快悔
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