新老楼快悔 第66話 偽金造りの熊坂長庵の話
高齢者を狙った「オレオレ詐欺」が続発しているが、翻っていまから一四〇年も前の明治の初めに起こった「偽紙幣事件」は、人々をおののかせたという。
明治一二年(1879)、大阪、九州などで大量の偽二円紙幣が出回り、大騒ぎになった。米一〇キログラム五一銭(『値段の明治・大正・昭和風俗史』朝日新聞社)の時代だったから、いまなら偽物の一万円札が現れたのに匹敵する。
東京警視局は大阪の政商、藤田組の藤田伝三郎ら八人を偽金造り容疑で逮捕。政府の高官が関与も噂されたが、確証もないまま全員釈放に。これを「藤田組贋札事件」という。
それから三年後の明治一五年(1882)、神奈川県愛甲郡中津村の医師兼画工、熊坂長庵(38歳)が逮捕される。熊坂は金に困り、絵筆で偽二円札を描いて造り、それを用いて遊興にふけっていたという容疑だった。騒ぎに輪をかけたのが、犯人の熊坂長庵という名。歴史上、よく似た名前の熊坂長範という大泥棒がいたので、評判になった。
熊坂は犯行を否認したが、裁判所は無期徒刑(無期懲役)を言い渡し、上告を棄却して刑が確定、明治一六年(1883)暮れ、北海道樺戸集治監に移された。
入獄した熊坂は労役を免ぜられ、獄中で絵を描くのを許される。熊坂は自らの監房を「樺戸画窟」と名付け、毎日、画を描き続けた。時には村人に絵の描き方を教えたという。亡くなったのは明治一九年(1886)四月二九日、四二歳。二年五カ月の在監だった。
熊坂の描いた絵が数点現存する。旧樺戸集治監のある月形町の北暫寺にある「弁天の仏画」は普通の仏画とは異なり、険しい表情の女性が右肩を出し、右手に剣を、左手に宝玉を持ち、黒波に浮かんでいる絵で、「香山酔画」の揮毫が見える。同寺は受刑者たちが建てた寺で、絵は寺宝になっている。
「山水六面屛風」は屛風六面に描いたもの、「梅花女人之図」は女性に満月と花をあしらったもので、ともに町民から月形町に寄贈された。現在は月型樺戸博物館に展示。
戦後も昭和五一年(1976)、熊坂の冤罪を信ずる神奈川県愛甲町の僧侶で町文化財保護委員の福井周道氏が月形町を訪れ、聞き取り調査を行い、一方、熊坂の故郷で新たな資料が見つかり、冤罪の見方が強まった。新聞がその経緯を報道し、作家の松本清張は『日本の黒い霧』でこの事件の真相を掘り下げて、話題になった。
月形町南耕地の篠津山霊園には、同集治監に収監中に亡くなった受刑者一〇二二体が葬られているが、月形町郷土史会は、熊坂の調査に訪れた福井氏が僧侶なのを知り、「熊坂の戒名を戴きたい」と要請。「樺川堂宝山跡昌居士」の戒名を刻んだ墓が昭和六二年(1987)夏、同霊園内に建立された。死から一世紀の歳月が流れていた。
2022年12月2日
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