新老楼快悔 第63話 名刺に見るさまざまな側面
人生の終末期に入り、暇を見ては身辺整理をしている。難題は部屋を埋めた書籍と、取材時に入手した資料の山。妙案も浮かばず、腕をこまねいたままだ。意外なほど手間のかかるのが名刺の処理。現在の住まいに移って20数年の間に溜まった数がざっと1,200枚。毎年5、60人ほどの方と名刺を交換してきた計算になる。
処分する名刺を1枚、1枚眺めているうちに、それぞれに個性があるのを実感した。名刺とは、初めて人に接する時に用いるものだから、当然、それぞれの表情があってしかるべきだが、思わず見とれてしまう“傑作”もあるのだ。
わが町の風光明媚な景色を前面に入れた名刺は、それだけで芸術品を思わせる。観光ガイドの女性、Mさんの名刺は池の水が波紋を広げた図柄で、心をなごませる。神田日勝記念館や開陽丸青少年センターの関係者の名刺は、作品や建造物の写真を配しており、一目瞭然。土方歳三専門ボランティアガイドSさんのものは、黒地に薄青の文字で「箱館土方組」と書き、アイヌ女性会議メノコモシモシ代表のTさんは、背景にアイヌ文様を配していて、思わず引き込まれる。
せたな町教育委員会のN生涯課長は、町自慢の3ヵ所の見どころ写真を用い、遠軽町丸瀬布総合支所のT主幹は北海道遺産でもある森林鉄道「雨宮21号」を、上富良野町の十勝岳観光協会M副会長はラベンダー畑と十勝岳の風景を、木古内町教育委員会S生涯学習課長は北海道新幹線木古内駅を、といった具合に、地元の名所、名物を用いている。
ほほう、と感じ入るのが、札幌市厚別区で地域FM局を経営するM局長のもので、人差し指と中指を突き出したデザイン。また日本脚本家連盟のM理事のものはペンと原稿用紙をアレンジしている。ラジオ局の女性パーソナリティTさんは、自身の出演番組を挿入し、美唄市の社寺建築士のSさんは可愛いダルマ絵を用いている。札幌で一番古い寺の僧職は、家紋に寺院を配し、南空知地域生活支援センターのK相談支援専門員は、右端に自身の似顔絵をといった具合だ。
似顔絵といえば、落語界きっての美声の持ち主といわれる柳亭市馬師匠の名刺。特徴のある面長な笑顔が全面に配されていて、ほっこりさせられる。韓国の演出家Kさんは表も裏もすべて赤。これにはいささか驚いた。
きわめて珍しいのが家系を書いた名刺。歴史上著名な人物の末裔の女性で、数えて五代目、玄孫に当たる。現在、歴史研究家として活躍しており、自分の立ち位置を説明する必要から挿入したものと解釈できる。お陰でよく理解できたと感謝した記憶がある。
最後にYさんの1枚を。彼は私が主宰する道新文化センター「一道塾」の受講生で、初めて会った時に渡された名刺を見て、おやっ、と思った。自分だけでなく、妻も息子の名前まである“家族名刺”なのだ。彼は先年、急に病を患い亡くなってしまった。なぜ、妻子の名を入れたのか、その理由を聞かなかったことを、いまも後悔している。
2022年11月11日
老楼快悔
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