新老楼快悔 第59話 森川時久さんの思い出
映画監督として「若者たち」など数々の作品を制作、世に送りだした森川時久さんが亡くなったという新聞報道に、遠いあの日のことが甦った。
釧路で新聞記者をしていた時、根室から転勤してきた同僚が宴席で歌ったのが「根室女工節」という歌だった。
女工女工と軽蔑するな
女工さんの詰めたる缶詰は
横浜検査に合格し
アラ 女工さんの手柄は外国までも
哀愁を帯びた独特な旋律に、心を揺すぶられた。「女工節」と呼ばれ、昭和戦前まで根室の先に点在する歯舞、色丹、国後、択捉の諸島、いまの北方領土で、カニの缶詰作業に携わった女性たちが歌った歌だと知り、興味を抱いた。
後に土日を利用して何度も根室へ赴き、いまは異郷となった北方の島々で働いていた女性たちを訪ねて、話を聞いて歩いた。誰もが若い青春時代を懐かしむように語ってくれた。女工節を歌う女性のいる飲食店にも足を運び、その歌を聞いた。
船に乗って島に渡り、働き詰めに働く…。逃げることも隠れることもできない島の工場で、働きながら歌う女性たち。そこには拭えぬ哀感がこめられていた。
この取材をまとめたのが『流氷の海に女工節が聴える』(新潮社・1980年)という本である。すぐに反応を示してくれたのが読売テレビで「木曜ゴールデンドラマ」で放送したいという。脚本は岩間芳樹さん、演出は森川時久さん、主演は新人で慶応大学生の紺野美沙子さんという。肝をつぶすほど驚いた。
ロケは根室の缶詰工場で行われることになり、原作者も来てほしいと言われ、どう対応すべきかと不安を抱えながら、夜行列車に乗り込んだ。根室に着いたのは翌朝。指定された場所へ赴くと、森川さんと元女工を演じる賀原夏子さんが出迎えてくれた。
森川さんはテレビドラマ「若者たち」などを制作した名ディレクターで、賀原さんは舞台、映画女優として知られていたが、もとよりどちらも初対面。挨拶を交わすなかで、不思議に不安が吹っ飛んでいったものだ。
紺野さんらにも会い、夢心地の一時を味わい、長い期間待ち続けていよいよテレビ放映に。タイトル「海峡に女の唄がきこえる」が映った時の心境は言葉に表すことができない。
森川さんはその後、映画監督として、「次郎物語」「ハルウララ」など多くの秀作といわれる作品を残した。今夜はあの頃を偲び、一献傾けようと思っている。
2022年10月14日
老楼快悔
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