新老楼快悔 第58話 さようなら、彩木雅夫さん

新老楼快悔 第58話 さようなら、彩木雅夫さん


「長崎は今日も雨だった」の作曲で知られる彩木雅夫さんが亡くなった。本名新居一芳。享年89。私より一歳年長だが、親しく付き合って戴いた。今の心境は、胸中に穴が開いたような感じである。
 彩木さんと知り合ったのは昭和51年(1976)春だからもう50年近くになる。その頃、彩木さんはHBC(北海道放送)に勤めながら作曲活動をしており、すでにその名は広く知られる存在だった。私は札幌に転勤したばかりで、ペンネームで『北海道・ロマン伝説の旅』を発刊するなど‟二足のわらじ”を履いていた。
 HBCラジオに頼まれて「おはよう北海道」という番組に毎日出演(といっても月曜日だけ生放送、火曜から金曜分は録音)していたので、折りを見て職場を訪れ、お会いした。帯広出身ということで、私も新人記者時代を帯広で過ごしただけに、何かと話が合い、大切な友人になった。
 その頃、札幌にはSF作家の荒巻義雄さん、北海道教育大教授の伊藤隆一さん、放送作家の脇哲さんらがいて、荒巻さんを中心におしゃべりの会を開いていたが、そこに彩木さんも招き入れて一献、傾け合った。
 共通点は、本業を持ちながらもう一つの仕事をしている人ばかり。いまなら珍しくもないが、当時は‟二足のわらじ”と言われ、とかく冷たい目で見られていた。だから互いに気を許し合ったということなのかもしれない。
 ある日、とんでもないことが起こった。彩木さんから「すぐ来てくれ」という電話が来たので、飛んでいくと、
「曲が出来たので、これに歌詞をつけてほしい。いいか、作詞合田一道、作曲彩木雅夫だ」
 と説明するように言い、いきなりテープを回し始めたのだ。その音曲の素晴らしさにぼーっと聞きほれていたら、「早くやれ」と励ます。音楽を何度も何度も聞きながら歌詞を当てはめようとしてみたが、うまくいかない。悪戦苦闘の挙げ句、ついにサジを投げ出す結果となった。
 彩木さんは憮然としていた。せっかくいい音曲が生まれたのに、歌詞ができないとは。頼み甲斐のないやつ、と思ったのであろう。だが、こちらにも言い分がある。安請け合いしたのは悪いが、音曲を聞いて歌詞を作るなどという‟芸当”など、できっこない。俺はノンフィクション作家なのだ!
 気まずい別れから1カ月ほどして、あの曲が可愛い女性の声でテレビやラジオから流れ始めた。それが――、初音ミクだった。
 そうだったのか。今度はなにやら申し訳ない気持ちになった。
 いまは亡き彩木さん、ごめんなさい、と空(くう)に向かって叫びたい。そんな心境である。合掌。
 なお、お別れ会は11月3日午後1時からパークホテルで。





2022年10月7日


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