新老楼快悔 第46話 箱館戦争、榎本の“決断”に思う

新老楼快悔 第46話 箱館戦争、榎本の“決断”に思う


 函館山の麓に立つ碧血碑前で、今年も6月25日、旧幕軍将兵戦死者の慰霊祭が催された。戊辰戦争最後の戦いとなった千代ヶ岱台場が落ち、榎本武揚が自刃を図って死ねず、降伏を決意した日に当たる。
 新型コロナウィルスの蔓延で慰霊祭が2年連続中止になり、久しぶりに参加させてもらったが、榎本武揚の曾孫、榎本隆充さんをはじめ、縁故の末裔たちもはるばる参加されて、厳粛な中にも心温まる雰囲気を醸しだす一時となった。



 久しぶりに榎本隆充さんと会い、積もる話を交わした。咸臨丸子孫の会に出席してお会いしてもう20年以上になる。東京の自宅にも何度かお邪魔し、先祖榎本武揚が残した膨大な書物を見せていただき、それが拙著『古文書にみる榎本武揚 思想と生涯』(東京・藤原書店)の発刊に繋がった。
 隆充さんと私とほぼ同年代で、80代の半ばを超えた。一時、体調を崩されたというが、回復してそれを感じさせない。この祭りがいつまでも続くように、体が動くうちは参拝しましょうと語り合った。
 実は私はこの日、碧血祭の直前に、五稜郭の箱館奉行所内の大広間で講演させてもらう光栄に恵まれた。演題は「榎本武揚、三つの決断」。榎本が生涯で遭遇するたびに迫られた決断を取り上げた。
 一つは、新政府のやり方に不満を抱く武士たちを艦隊に乗せて脱走した、その決断の陰にあったものは何か。二つ目は降伏を拒絶した時、オランダで学んだ「海律全書」を新政府軍参謀に届けたが、その真意とは何か。三つ目は死をまぬがれ、敵将・黒田清隆の要請に応じ、「武士は二君に仕えず」とする武士道を踏みにじってまで、新政府に仕えたのはなぜか。
 会場となった大広間は、隣の席をあける工夫をしながら定員いっぱい。全員が資料を手に熱心な表情で聞き入っている。



 そんな話をするうちに、静粛な会場は目に見えぬ熱気が漂い、その時代を必死に生きた榎本武揚が忽然と現われるような気がして、瞼が熱くなるのを覚えた。


2022年7月8日


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