新老楼快悔 第39話 出版ほやほやの本を手にして
ここ数日の間に、何人かの知人から、発刊したばかりの本が寄せられた。初めての出版の方がほとんどで、頁をめくると執筆者の熱意が伝わってくる気がした。
帯広市に住む佐藤文彦さんの『川柳エッセー 石川啄木と芸者小奴76』はサブタイトルにもあるように、「啄木のふれんど」と自ら呼んだ小奴への潜在意識が強くて、一挙に生まれた76首の川柳を紹介している。「啄木を川柳で詠む愉快かな」から始まり、「小奴の耳朶(みみたぼ)などにイヤリング」「啄木鳥(きつつき)は木の虫探す天才だ」と続く。
文中、小奴は函館出身で、弥生尋常小学校に入学したこと(後に啄木が同校代用教員に)、大津を経て帯広に移り帯広尋常高等小学校に転校し、みんなでカラマツを植えたこと。それに、明治38年(1905)3月、卒業時の集合写真を見つけた旨を記し、「小奴の卒業写真見つけたよ」「小奴の植えたカラマツ今大樹」と詠んだ。奇想天外な発想と執念深いまでの追跡ぶりに、思わず膝を叩いた。
次はかつての記者仲間だった広川一彦さん(札幌市)の『任侠 金語楼先生 天賦の職』。任侠の世界から転変を経て聖職の教師になった父親の生涯を辿ったもの。金語楼先生はニックネーム。後半、終戦により召集解除され、岩見沢農業学校に復帰後、十勝農業学校教頭になり、さらに新生の大樹高校校長に。その過程が克明に描かれている。記者時代から抑えた筆さばきはいまも変わらず、流石と感じ入った。
三冊目は「日本奥地紀行」の旅・研究会による『ザック担いでイザベラ・バードを辿る』と題する紀行・エッセイ集。岡田常義さん(東京都)ら9人の執筆。東京に住む娘を通じて贈られてきたもの。
大英帝国ビクトリア朝時代の女流旅行家イザベラ・バードが1878年に初来日して書き残した東北・北海道の街道、峠、町を、かつての名古屋大学ワンダーフォーゲル部の仲間で、いまは熟年となったメンバーが、6年かけて書いた紀行文。第1部は彼女が歩いた日光、会津西街道、越後・米沢街道、羽州街道、蝦夷地まで。2部はその旅を実際に巡る旅紀行文。その文面から、気高いまでの探究心が漂ってくるのを感じた。
最後は糖尿病の専門病院を経営する佐々木嵩医師の『初めて聞く 北海道における糖尿病の歴史』。糖尿病の治療は函館から始まったこと、明治以前のアイヌ民族で糖尿病にかかる者は祖父母に遡るまでいなかったことなど、貴重な証言も折り込んでいる。
実は佐々木院長とは3年前に「糖尿病の本を書きたいのだが」と相談を受けた経緯がある。何のアドバイスもできないまま別れただけに、この出版に心から喜んだ。
本には、1冊1冊に執筆者の魂がこもっているのだ。そんなことを思いながら、きょうもまた、古びたワープロと向かい合っている。
2022年5月16日
老楼快悔
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