新老楼快悔 第023話 “子供が邪魔”な親たち
子どもをめぐる犯罪が後を絶たない。先日も東京都内の若い女性(24歳)が3歳の長女をマンションの自宅に置いたまま8日間も帰らずに衰弱死させ、保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕された。
警察の調べによると、女性は鹿児島県の交際相手に会うため、長女を居間から出られないよう外側にソファを置き、食事も用意しないまま出かけた。帰宅した女性が倒れている長女を見つけて110番したが、搬送先の病院で死亡が確認された。司法解剖の結果、高度脱水症状と飢餓によるものと判明した。
警察の調べに対して女性は「娘は数日前から体調を崩したが、病院で診てもらうお金がなかった」「離婚して1年。子育てが大変で、リラックスしたかった」などと述べた。
親の身勝手と言うか、“子どもが邪魔だ”という若い親たちが増えている。それにつけても思い出すのは昭和戦前に起こった「もらい子殺し」。養育費をつけて受け取った30人の子どもを、次々に殺していった夫婦の恐るべき犯罪である。
1930(昭和5)年4月13日朝、東京府板橋の女性(35歳)が、ぐったりした赤子を抱いて近くの医院を訪れ、
「乳を飲ませているうち、誤って乳房で鼻を圧迫し、窒息死させてしまった」
と述べた。医師はすでに冷たくなっている赤子の口元に、指跡らしい斑点が見えたので、不審に思い、警察署に届け出た。この時期、板橋あたりでもらい子を受け取る者がいるとの風評が立ち、時々、病院にわが子と称して死にそうな赤子を抱いて診療に訪れる人がいて、疑惑を募らせていたのだった。
警察はこの通報を重視し、東京地裁の予審判事、検事まで同行して現場に急行した。赤子は解剖の結果と女性の自供から、実子と言っていたのは嘘で、もらい子である赤子の鼻を抑えて窒息死させたのだった。
赤子の母親(32)は、夫の仕事がなく、「子どもを欲しがっている立派な家がある」という周旋人の言葉を信じて、養育費18円に着物を添えて、泣く泣く手離したのだった。当時の白米の価格は10キロで2円30銭、かなりの高額だったことがわかる。
この事件をきっかけに医師は、警察の要求に応じて1923(大正12)年以降の死亡者名簿を提出し、「少なくとも30人の赤子が変死している」と証言した。
警察は女性とその夫(30歳)を追及したところ、3月12日に男児(1歳)を風呂に取り落として死なせたほか、ここ2年間に5人の赤子を同様の方法で死なせ、過失致死としていたと自供した。また他の方法で赤子を殺したことも自供した。
子どもが邪魔になりもらい子に出す――。現代ではこんなケースはみられないが、反面、子どもへの虐待が増えている。犯罪が時代によって変貌していくのがよくわかる。
2022年1月14日
老楼快悔
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