新老楼快悔 第021話 少年からの便り
読者の方々から時折、お便りが届く。著書の読後感が主で、「よくぞ書いてくれた」と賛美する内容もあるが、中には文章の間違いを指摘するものも含まれていて、叱責されたり、励まされたりの日々である。
先日の便りは見知らぬ栃木県の高校2年生の男子からのもので、一読して胸が震えるほど感激した。
突然の手紙、失礼致します。私は栃木県矢板市に住む高校二年生ですが、「満蒙開拓団」に興味があります。かつて日本の国策の下、多くの同胞が新天地「満州」へ渡り、昭和20年8月15日の終戦にもかかわらず多くの同胞が大陸で犠牲になった事。将来は史学科へと進学し、それらのことを「第二の証言者」として次の世代へと伝えたいと考えています。
この文面に続けて、筆者が書いた『開拓団壊滅す』(北海道新聞社刊)を読んだことや、筆者が所有する「北満農民救済記録」(7冊のノート)に関わる質問など、そして「今後ともご指導お願いします」と記されていた。
「北満農民救済記録」と出会ったのが昭和52年(1977)夏。ノートの執筆者を探して取材し、『死の逃避行』以下一連の本を出したのが翌年夏以降。もう40数年も前になる。この本を出して以来、連日、元開拓団の方々から便りが届き、反響の大きさに驚嘆したものである。
その後、ノートに開拓団の現況を書いた人物を10人ほど捜し出して会い、話を聞くなどして本を書く一方、ノートがどんな形で祖国に持ち帰られたのか、ノートを慰霊祭に届けた人物は誰かなどを調べ、さらには中国東北部へ赴き、自決現場を訪れてルポをまとめるなどして、五冊の本を書き上げた。私としてはこれで一区切り付けた気持ちだった。
だがこのテーマはそう簡単に治まらないとみえて、毎年終戦記念日近くなると「北満農民救済記録」の実物を見たいという人が現れ、そのたびに対応を続けてきた。そうした経過を辿って思いもかけない高校生からの便りである。文面を読み終えるなり直ぐに返信を書き、私の作品も同封し、今後の研究資料にするよう伝えた。
コロナ禍で身動きできない日々が続いている中、少年からはまた便りが届き、電話でも連絡がついて、「いずれコロナが治まったら、札幌へ行きたいと思っています」と述べた。そう語る漲るような声にすぐ、次世代を担うこの少年に、祖国が歩んだ“負の歴史”を託そうと決意した。まだ見ぬ少年は来春には大学に入る。いつ現れるのか、その日がくるのを、心待ちにしている。
7冊のノート「北満農民救済記録」
合田一道著『開拓団壊滅す―「北満農民救済記録」から』
ポール・マルヤマ著『満州 奇跡の脱出―170万同胞を救うべく立ち上がった3人の男たち』
2021年12月29日
老楼快悔
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