新老楼快悔 第012話 歴史上の人物の縁(ゆかり)の人々

新老楼快悔 第012話 歴史上の人物の縁(ゆかり)の人々


ノンフィクション作品を書いているので、歴史上の人物を扱うことが多い。そんなことから縁続きの方に出会う機会にも恵まれ、書く筆に力がこもる。
榎本武揚の曾孫、榎本隆充さんとの出会いは20年前、『咸臨丸栄光と悲劇の5000日』という本を書いたのが縁で、咸臨丸子孫の会の総会に出席し、偶然、隣合わせになった。その出会いがきっかけで「榎本武揚没後百年祭」を道内3カ所で開催できたうえ、黒田清隆の曾孫、清揚さんを招いて、隆充さん、小生による鼎談会を開催できた。そして、『古文書にみる榎本武揚 思想と生涯』の刊行へとつながった。



この過程で隆充さんの長男の隆一郎さんとも知り合った。髭を生やすと武揚を彷彿させる。先年、函館の五稜郭祭りに髭をつけて現れ、喝采を浴びたものだ。
咸臨丸子孫の会の席で出会ったのは勝海舟の曾孫の五味澄子さん、玄孫の高山みな子さん。木村摂津守喜毅の末裔の方は多数おられるが、曾孫のひとり、宗像信子さんは少女時代を札幌で過ごしたとかで、ことのほか親しくさせていただいている。



箱館戦争の『麦叢録』を書いた小杉雅之進の曾孫の小杉伸一さん、ジョン万次郎こと中浜万次郎の末裔の中浜京さん、さらには小野友五郎、浜口興右衛門、小永井五八郎の末裔の方々とも知り合い、古文書や古資料を見せてもらい、歴史への視点が大きく広がった。
箱館戦争の戦没者を祭る「碧血祭」は毎年6月25日に開催されるが、その席で土方歳三の本家筋の末裔、愛さんに出会った。東京・日野の土方歳三資料館の館長をしており、一度、中学生になる二人の息子さんを連れてこられた。どちらも歳三似の美男子で、思わず、おぉっ、と唸ったものである。



見捨てられたままの戦死者を一夜のうちに埋葬した柳川熊吉の曾孫、厚史さんは函館で医師をしている。厚史さんの父君は元高校の校長先生で、いまは亡いが、50年も前、碑前でさまざまなお話を伺った。穏やかな諭すような口調をいまも思い出す。
新選組の永倉新八の曾孫、杉村悦郎さん、杉村和紀さんは従兄弟同士で、いずれも札幌に住んでいる。悦郎さんは作家、和紀さんは映像制作ディレクターなので、私とも付き合いが深い。そんなことで何人かと歴史談義をしていたら、近藤勇の正体を見破った加納道之助の末裔が同席しているのを知った。元高校教師で何度も会っていた人だけに、驚いた。
もっと驚かされたのは小さな講座を終えた直後に、一人の男性から「実は私、きょうの講座の話に出てくる中島三郎助の曾孫に当たるのです」と言われ、思わず、えっ、と叫んだ。三郎助はご存じ、箱館戦争の千代ヶ岡台場で二人の息子とともに戦死した強者である。



末子の与曾八はこの時、2歳。その与曾八の孫に当たる方で、永昭さん。札幌市内で動物医院を経営している。以前、取材で東久留米市を訪れてご両親にお会いした時の話をして、すぐ打ち解けた。
三郎助のもう一人の末裔が神奈川県海老名市に住む中島恒英さん。恒太郎、英次郎兄弟の名前が一文字ずつついている。碧血祭で出会い、そのことを話すと、
「父が、二人の叔父の名を一文字ずつつけてくれたのです。函館の町をめぐると先祖の息吹が漂っているような気持ちになります」と話してくれた。
歴史が色濃く残されている函館の町。新型コロナ感染症の嵐はいまだに吹き荒れているが、来年こそ碧血祭が開かれて、多くの人々と出会えるようにと、心から願っている。



2021年10月29日







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