新老楼快悔 第010話 テレビ番組、消えた企画

新老楼快悔 第010話 テレビ番組、消えた企画


 突然、東京のあるテレビ局から「番組制作に協力してほしい」と連絡が入った。以前、この「老楼快悔」の欄に「コースチャ坊やに会いたい」という文章を載せたのを読んで、番組制作を企画したのだという。
 コースチャ坊やは正しくは、コンスタンチン君。1990年(平成2)8月27日、自宅で誤って熱湯をかぶり、全身に大やけどを負った。サハリン知事から北海道知事に治療要請の電話が入り、こと人命に関わる問題として、超法規的判断により、札幌医大の医師らが飛行機でサハリンへ飛び、坊やを札幌まで緊急輸送。慌ただしく手術を行い、危うく一命を取りとめた。両国に感動の輪が広がり、善意の渦が巻き起こった。
 坊やが帰国して一か月後、担当医師がサハリンの医療事情視察の名目で坊やの診療に赴くことになり、筆者も記者として同行した。その日、待ち合わせの場所へ。医師の姿を見つけた坊やが、両親と離れてちょこちょこと駆け寄ってきた。みんなに笑顔が溢れた。
 あれから31年。コースチャに会いたいと思い続けていたので、願ってもないことと答えると、できたらソ連(ロシア)のサハリンまで赴き、本人と再会する場面を撮影したいという。いささか驚きながらも、了承した。
 会ったらぜひ、言いたいことがあった。「君を助けた札幌医大の教授は亡くなったが、君のことをずっと心配していた。いま、両国の関係は決してよくないが、君こそ両国の懸け橋になるべきだ」と。
 さぁ、出発となったら、切れたパスポートを新たに取らなければならないし、いまは30代半ばになり、結婚して家庭を持っているコンスタンチン君に、それなりの土産を用意しなければならない。日本国民が寄せた心温まる基金を報じる当時の新聞記事も用意して、テレビ局からの連絡を待った。
 ところがどうしたこと、一か月経っても、二か月経っても、何の連絡もない。どうしたんだろうと思いあぐねて、これは政治的な問題が含まれている、と解釈した。
 コンスタンチン君自身、北海道に来たい思いがないはずがない。あれだけ世話になった北海道ではないか。なのに声一つ上げられないのは、何らかの政治的事情で自由に動くことができないのではないか。テレビ局の番組制作を企画しても、政府がその許可を出そうとしないのではないか。
 そういえばあの頃、私自身、3度ソ連を訪れているが、両国間には国交がないため、そのたびにソ連政府からの招待状をもらって行動した。ぎりぎりに招待状が出て、猛スピードで新千歳空港へ飛んだあの日が甦った。
 それに似た状態がいまも続いているのだと理解した。そして平行線をたどる北方領土問題が解決しない限り、コンスタンチン君といわず、ロシアの古い友人とも、二度と会うことはできないだろうと思い、固く唇を噛んだ。


老楼快悔 第10話『コースチャ坊やに会いたい』

2021年10月15日

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