新老楼快悔 第007話 わが人生の誤字脱字
先日、講師を務める道新文化センターの講師ボックスに、一通の便りが届いていた。開いてみると、9年前に発刊した私の書物に、写真が間違って用いられているとの指摘で、それを示す資料も同封されていた。住所も氏名も書かれていて、文面には、
「私の思い違いなら、お許しください」
と丁寧な言葉が添えられていた。
毎年、無料で配布される中高校生向けの本である。慌てて調べた結果、提出先の誤りと判明した。発行元と対応策を相談したが、発刊から時間が経過しており、どうすることもできないという結論になり、私からお詫びの便りを出した。
思えば、新聞社に勤務している時から、誤字や脱字には気を配ってきた。なのに、駆け出しの記者のころ、交通事故の被害者と被疑者をあやうく取り違える失敗をやらかし、絶望感に陥った苦い思い出もある。
本を書くようになってからも、事実を間違えないよう、気をつけているつもりなのに、何度も過ちを繰り返す。文章を書く身の宿命、といえばそれまでだが、厳しい指摘の便りをいただくと、自分自身が情けなく、いたたまれなくなる。でも指摘されたお陰で二刷りで直せるので、心から感謝する。
わが書斎の一隅に「訂正ノート」が置かれている、そのたびに起きた「わが人生の汚点の記録」である。
2021年7月21日の北海道新聞の夕刊を読んでいたら、一段見出しの小さな記事に目が吸い寄せられた。「昭和天皇実録」の誤り七千ヵ所――。へぇーと思った。この本は19巻からなる膨大な書物だが、一昨年、天皇皇后両陛下への献上本や報道関係、研究者らへ提供した本に5000ヵ所余りの間違いが見つかり、その後訂正された本が店頭に並べられたが、そこでも157件の誤りが見つかったという。そして今回、それがさらに増えて7254ヵ所にも及んだという。
宮内庁はもとより、出版社も、大勢の執筆者も、頭を抱えているに違いないと、そんなことを想像しながら、書くという道を歩いている以上、避けては通れない誤字、脱字である。対応はただ一つ、注意すること。いま一度、褌を締めなおさねば、と老いたわが身に、ムチ打つ心境である。
いつだったか、北海道新聞の時事川柳欄にこんな絶妙な句が載っていた。
振り返る我が人生の誤字脱字
思わず、うまいっ、と唸った。まさにわが人生にぴったり、としみじみ実感したものだ。そこで愚作を一句。
誤字脱字がっくり緩褌(ゆるふん)締め直す
2021年9月17日
老楼快悔
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