新老楼快悔 第005話 ほっかいどう学を学ぶ会

新老楼快悔 第005話 ほっかいどう学を学ぶ会


「ほっかいどう学を学ぶ会」という会がある。道生涯学習協会の「ほっかいどう学検定」に合格した人たちで組織されたもので、創立からすでに10年余。現在は門戸を広げて「北海道の歴史に興味を抱く人ならどなたでも」と呼びかけている。会員数は160人ほど。毎年2回の研究発表会、日帰り旅行、札幌ウォーキングなどが行われる。
新型コロナウイルス感染症の影響で、このところ活動は控えめだが、検定の最初から関わってきたので、いまも老体に鞭打って顔を出している。
研究発表会は会員自らの調査や研究を30分程度にまとめて発表するのだが、内容に幅があって思いがけない話を聞くことができる。先日は女性会員が「北海道の花柳界の実態」と題して資料をもとにその経緯を報告した。内容もさることながら、研ぎ澄まされた視点の鋭さに唸ったものである。
この発表会で私も一時間ほどお話をする。北の歴史にからむ様々な話題を取り上げるのだが、聴衆が興味を示すのは、箱館戦争を戦った土方歳三や榎本武揚、それに「北海道」の名付け親、松浦武四郎、開拓使の島義勇や岩村通俊ら、蝦夷地開拓を夢見ていた坂本龍馬の話などの反応が大きい。
総会後の懇親会がまた楽しい。さまざまな情報があちこちから入ってくるのだ。例えば年配の会員が「古文書を読んだら、松浦武四郎は私の家の前を歩いていたことがわかった」と話しかけてくる。一瞬、へぇーっ、となる。
少し前だが、龍馬家を継いだ高松太郎改め坂本直の妻、留の遠縁になるという方から、留の便りについて質問された。留は夫直亡き後、わが子とともに夫の弟の坂本直寛(坂本本家を継ぐ)を頼って浦臼の聖園農場に身を落ち着けた女性だ。



留は1906年(明治39)11月、龍馬の没後40年忌に坂本家を代表して出席した折り、京都の近江屋(井口家)に宿泊したが、その返礼の次の文面が気になるという。




 他々ヨリ如何ナル申込ミ有之(これあり)候共決シテ他出(たしゅつ)致サヌ様、何卒(なにとぞ)御君様ニテ保護致サレ度(たく)為念御依頼申上候

この便りから留は、世話になった井口家に、龍馬の遺品を預けたようで、それが何なのか知りたいというのが真意だった。その時は立ち話で別れたが、文面を読んだだけでは、皆目検討もつかず、手持ちの資料を探したが、合致するものはない。
机に座ったままでぼーっと考えていたら、「もう、いいかげんにせんかい」と龍馬の声がした。『龍馬、蝦夷地を開きたく』を執筆した時も、夢の中に何度か龍馬が現れ、襟を質したものだ。龍馬にすれば後世の者たちの動きが喧しくてならないのかもしれないと、つい、つまらぬことを妄想して、ひとり苦笑している。





『龍馬、蝦夷地を開きたく』合田一道著
 
2021年9月3日


老楼快悔トップページ
柏艪舎トップページ