老楼快悔 第112話 吉展ちゃん事件と老僧
「吉展ちゃん事件」といっても遠い話になった。1963年(昭和38)3月31日夕、東京都台東区の公園で吉展ちゃん(4歳)が何者かに誘拐され、脅迫電話により身代金50万円を奪われた。捜査本部は録音テープの犯人の声を、テレビやラジオで公開した。
「だいじょうぶ、まづげえねぇよ」
東北訛りの不気味な声が流れて、幼い子どもを持つ家庭は恐怖におののいた。
この事件を『激動昭和史現場検証』(新風舎文庫)にまとめるため、事件現場を訪れた。誘拐された公園は吉展ちゃんの自宅のすぐそばにあり、「こんなところで」との思いにかられた。身代金を奪われた中古車整備会社前までは自宅から300メートルほど。ここに停車していたオート三輪自動車の荷台に身代金を置いた一瞬、あっという間に奪われたのだ。停車している数台の自動車を見つめながら、犯人の素早さに舌を巻いた。
新聞は「吉展ちゃんを探そうキャンペーン」を展開し、青年会議所は幼児の写真入りポスターを1万枚も作って配布し、情報の提供を呼びかけた。
公開捜査の初日、犯人の弟と名乗る福島県出身の男性が現れ、「兄だ、兄の小原保に間違いない」と言い切った。捜査本部は小原を別件で逮捕して追及したが、「知らない」と拒絶した。その声が録音された声とまるで違うので、やむなく釈放した。
事件から2年半、専従捜査班は再び小原保を逮捕し、追及した結果、ついに犯行を認め、遺体は荒川区南千住の円通寺裏手の墓地に埋めた、と自供した。捜査班は小原が書いた地図を頼りに、現場にたどり着いた。この遺体探しに関わったのが同寺の乙部融朗住職。高座の噺家のような口調でこう話した。
「あの夜遅く、刑事が2人やってきて、遺体は××家の墓にあるはずだという。驚いたね。門前で歯科医をしている弟を呼び出し、俺が墓石の唐柩(かろうど)を持ち上げた」
この唐柩、コンクリート製でとても重い。持ち上げた瞬間、懐中電灯を手にした刑事が「あったっ」と叫んだ。小さな遺体が唐柩の下に入れられていた。
「だから俺がまぁ、第一発見者ってわけだ」
犯人の小原は東京地裁で死刑の判決を受け、高裁に控訴したが棄却、最高裁も上告棄却して死刑が確定した。小原死刑囚はその後、千葉県の短歌会に入り、短歌を詠み続けた。
処刑されたのは1971年(昭和46)12月23日。年が明けて1月3日、短歌会の主宰者宛てに小原の最期の便りが届いた。処刑前夜に書いたもので、そこに書かれた一首。
明日の死を 前にひたすら打ちつづく
鼓動を指に聴きつつ眠る
久しぶりに円通寺の墓所を訪れた。住職はすでに亡く、後継の若い住職が応対に出た。遺体が見つかった場所はいまも空地のまま。境内に立つ吉展地蔵にぬかずきながら、流れゆく歳月を噛みしめた。
2021年7月23日
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