老楼快悔 第111話 一同が一道囲み一堂に
NHK札幌放送局の担当ディレクターから「新しい番組を始めたい」と言われたのは平成13年(2001)春のことだった。普段は原稿書きに追われる毎日だが、テレビの仕事にも魅力を感じた。でも足を踏み込んでみて、こんなに大変なものなのかと実感させられた。
取り組んだのは「ほっからんど212」の中で「人間登場」という15分間の番組。登場人物を決めて構成台本を書き、現場に赴きインタビューや関連ものを撮影し、スタジオへ入って生本番に挑む。最初の頃は毎週だったので、目の回る思いだった。
プロデューサーやディレクターと相談して候補を50人ほど上げ、地域を考慮しながら人物を決めていく。第1回は浦臼に聖園農場を作った武市安哉にした。高知県出身の代議士で、キリスト教信者。入植後は代議士も辞めて開墾に尽くすが、志半ばで亡くなる。その最期があまりにも衝撃過ぎた。
故郷・高知に第3次移住者の募集に赴き、戻る途中、青函連絡船の中で倒れ、そのまま息を引き取ったのだ。遺体は函館から室蘭へ。そこから浦臼の農場まで運ばれて本葬が行われ、その後、高台の墓地に運ばれた。墓標には「われすでに世に勝てり」と記された。
浦臼に入植した安哉は、開拓者たちと二つの約束をした。3年間は禁酒を守ること、大祭日、日曜日は休むこと、である。そして若い開拓者たちに「ここを開いたら、さらに広い所へ出て行くんだ。そして第二、第三の聖園を作るんだ。ここはそういう人たちの学校のようなものさ」と述べた。
この崇高な精神が人々の尊敬を集め、安哉の行動そのものが、死してすでに、世に勝てり、と讃えているのである。
安哉亡き後の聖園農場には、北見に入植していた坂本直寛がその意志を継いで移住した。直寛は坂本龍馬の甥に当たり、のちに坂本本家を継いだ。その関わりで龍馬家を継いだ直(高松太郎)の妻留が同地へ移住している。「龍馬の息吹を感じる町」とされるゆえんである。
こうして毎回、毎回、放送を重ねて積み上げて、回数は67回に及んだ。放送された内容はのちに3冊の本にまとめられた。
最初の本が出版された夜、ささやかな酒宴を開いた。スタッフの一人が、私の毎回詠む下手な俳句を真似て、一句詠んだ。
一同が 一道囲み 意気盛ん
どっと拍手が沸いた。すると別のスタッフが、首を振って一句詠む。
一同が 一道囲み 一堂に
また、わーっ、とどよめいた。夢のような思い出話の一席。
2021年7月16日
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