老楼快悔 第109話 「八つ墓村」を書いた集落で

老楼快悔 第109話 「八つ墓村」を書いた集落で


取材でさまざまな町を歩いた。岡山県を訪ねた時、作家の横溝正史が戦時中、疎開していた真備町にある古い家屋を教えられた。横溝はそこで地元に伝わる怪奇な話を聞き、書き上げたのが小説「八つ墓村」なのだという。
ベースになったのは昭和13年5月21日に同県苫田郡西加茂村行重で起こった血も凍るような「33人殺傷事件」だ。
この集落は前夜から電灯が灯らず、真っ暗闇だった。21日午前1時半ごろ、一軒の家の中に、異様な姿の犯人が現れる。頭の両側に2個の棒状の懐中電灯を固定し、胸に自転車用の角型電灯をぶら下げ、腰に日本刀を差し、右手に猟銃を持ち、巻き脚絆に地下足袋を履いていた。犯人は同家の寝ていた祖母(76)を斧で斬殺した。続いて隣家の母子3人を刃物で切り殺した。
犯人は近所の家々に踏み込み、家人を見つけしだい、誰彼の見さかいなく猟銃を発射して殺害した。一つ布団で寝ていた若夫婦は起き上がることもできず、射殺された。
犯人は午前3時ごろ、30人を殺し、3人に重軽傷を負わせて、どこへともなく立ち去った。わずか1時間半で33人を殺傷したケースは世界でも類例がないという。
津山警察署は周辺署はじめ消防組、青年団など2000人を動員して山狩りを始めた。午前10時半ごろ、付近の山林で自分の銃を心臓に当てて足の爪先で引き金を引いて自殺している男(22)を発見。遺書から、病気のことで集落の人たちに疎んじられたと思い込み、犯行に及んだものとわかった。
岡山市で出版業に携わるAさんは横溝作品の研究家である。周辺を案内しながら、
「横溝はこの事件を地元の人に聞き、小説を書き、戦後に発表したのです。八つ墓村のネーミング? あれは近くにある八束(やつか)村から取ったのでしょうね」
と楽しそうに説明してくれた。
横溝が疎開した真備町の白壁の家近くの十字路に、流行語になった「たたりじゃ」の「南無濃茶大権現」が建っていた。Aさんに案内されて成羽町の豪邸、新見市の鍾乳洞など、映画の舞台を回った。岡山県と鳥取県の県境の明地峠から、小さな集落が見えた。まさに映画で見た「八つ墓村」だった。改めて作家横溝の、凄まじいまでの創造力に脱帽した。





 
2021年6月25日


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