老楼快悔 第104話 根室で死んだ小市
井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』に登場する大黒屋光太夫の話は、想像を絶する凄まじさだが、光太夫とともにロシアから帰国した3人の中の小市という男性が、根室まで戻りながら病死したと知った時は、胸塞がれる思いがした。
教えてくれたのは根室市教育委員会の川上淳学芸員(現在札幌大学教授)。地元に伝えられる話から墓探しをするなど歴史の掘り起こしに努め、200年後となる平成4年(1992)に「慰霊 小市根室(この地)に眠る」と刻まれた慰霊碑を建てたのだった。
その慰霊碑にお参りして小市の存在が急に身近に感じられ、『おろしや……』の作家の故郷である旭川市の井上靖記念館や、小市、光太夫たちの故郷、伊勢白子の港(現三重県鈴鹿市若松)へ赴いた。別の取材でロシアに赴いた時、ゆかりの地サンクトペテルブルグまで足を延ばした。
船頭の光太夫が17人の乗組員とともに「神昌丸」で江戸に向かったのは天明2年(1782)12月13日。夜半に北風が吹き荒れ、船は風波に弄ばれて舵もきかなくなり、帆柱を切り倒し、積み荷も海中に捨てて海洋を8カ月も漂流した挙げ句、ロシアのアリューシャン列島アムチトカ島に漂着した。ここで3年間過ごしてカムチャツカへ移るが、11人の仲間が亡くなる。
イルクーツクに入った光太夫らは、キリル・ラクスマンという学者に会い、何とか祖国に帰りたいと訴える。キリルは光太夫らを連れてサンクトペテルブルグに赴き、女帝エカテリーナ二世に帰国願いを出す。女帝は「なんと可哀相に」と同情し、これを機に日露間の通商を開こうと、使節にキリルの次男、アダム・ラクスマンを指名し、光太夫、小吉、磯吉の3人を連れて出帆し、寛政4年(1792)9月3日、根室沖に着いた。
通報を受けた松前藩は、幕府に報告する一方、役人を派遣して事情を聴取した。ラクスマンは漂流民を返還するとともに通商を求めたが、回答もなくそのまま留め置かれた。
新しい年になり、小市は壊血病という恐ろしい病にかかって寝込んでしまい、「早くおっかあの顔を見たい」と訴えながら4月2日、息を引き取った。享年46だった。
光太夫らは小市の亡骸を根室の墓地に埋葬した後、長崎を経て江戸に送られ、将軍家斉に謁見して漂流の模様やロシアの状況を話す。この謁見に同席した桂川甫周が「漂流御覧之記」をもとにしたのが『北槎聞略』で、井上がこれをもとに「おろしや……」を書き、映画化もされた。
小市の菩提寺である三重県鈴鹿市若松の宝祥寺を訪ねた。横長の立派な「小市供養碑」に佇むと、亡き人が何かを語りかけてくるような錯覚を覚えた。
2021年5月21日
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