老楼快悔 第99話 田中邦衛さんの思い出
俳優の田中邦衛さんが亡くなった。訃報に驚きながら、机の中に仕舞い込んでいた一枚の写真を眺めつつ、40年も前の遠い思い出に浸っている。
邦衛さんと出会ったのはドラマ「北の国から」の撮影現場の富良野市。北海道新聞からUHB北海道文化放送に出向し、編成部長というポストを頂いた直後だった。フジテレビ系列で「北の国から」の放送が決まり、富良野市でロケが始まるのを機に、全国の新聞社の記者を撮影現場に招くことになり、その案内役として現地へ赴いた。
そこで邦衛さんと会った。若大将シリーズの”青大将”のイメージしかなかったが、会ってみて、不器用だが芯から真面目な性格であるのを知り、好感を抱いた。撮影は季節を追って続けられ、そのたびに何度か撮影現場を訪れた。
最初のころの話だが、邦衛さんと一緒に車で作家の倉本聰さん宅を訪れた時など、車中でそわそわしだし、到着すると「よしっ」と小さく言い、急いで車を降り、玄関めがけて駆け出す。倉本さんを信奉する一途な人柄が見てとれた。
後にそのことを話したら、
「いつまで経っても緊張するタチなんで」
と言い、笑った。
純役の吉岡秀隆君、蛍役の中嶋朋子ちゃんはまだ幼かったので、どちらも母親が付いて来ていたが、撮影が休みになっても二人は邦衛さんのそばを離れない。
「本当のお父さんみたいだね」
と言ったら、「うん」と頷いた二人の笑顔が忘れられない。
この作品は1981(昭和56)年10月から半年間放送され、大変な評判を呼び、「北の国からブーム」を巻き起こした。以後、「‛83冬」のスペシャル編を始め、「2002遺言」まで8作が制作された。ところが当時はまだテレビを見られない地域が各地にあり、肝心の撮影地である富良野市の一地区がこの地域に含まれていた。その話をUHB社長に伝えると、番組をVTRで撮り、それを現地へ送り、集落に流せ、ということになった。
そんな話をしたら邦衛さんは目を丸くして、
「そ、そーですか」
と驚き、小声で、「お仕事、大変なんすね」とねぎらってくれ、恐縮した。
UHBに9年間、お世話になり、再び北海道新聞社に復帰して以後、邦衛さんと会うこともなく過ぎたが、退職後に札幌大学の講師になり、邦衛さんの娘さんが同校に勤務しているのを偶然知り、お会いして感謝の意を伝えたものだった。
邦衛さん、あなたの残してくれた足跡は、あなたの人柄を伝えて、永遠に不滅ですよ。
2021年4月12日
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