老楼快悔 第97話 揆一郎さんと炭鉱の話
作家の高橋揆一郎さんを知ったのは、札幌に転勤して間もなく。会って意気投合した。揆一郎さんの出身地が歌志内、私は隣町の上砂川の生まれ、同じ炭鉱町出身ということで、親近感を覚えたのであろう。
何度か安酒場のカウンターで、並んで酒を飲んだ。それからほどない昭和53年(1978)、小説『伸予』で芥川賞を受賞した。震え上がるほど興奮した。ちょうどスクラップアンドビルドと称する炭鉱潰しが進んでいた。
「このままでいいのか。政府のやり方は勝手すぎる!」
いかつい顔で怒りを吐き出す。その言葉に、その通りだと相槌を打った。政府は北海道の開拓期に炭鉱をいくつも開発し、石炭を“黒ダイヤ”ともてはやした。太平洋戦争の最中も、戦後の復興期にも、石炭採掘を煽り立てた。その陰で安全がないがしろにされて炭鉱事故が繰り返し起こり、多くの作業員が亡くなった。その挙げ句に炭鉱を取り潰すとは。
「坑夫は毎日、地底で命がけで働いている。それなのに政府は、もうヤマ(鉱山)はいらないという。そんな勝手、許されるか」
コップ酒をぐいぐい呑んだ。酔っている。そのうち、ふいに、
「俺の絵、見るかい」
そう誘われて、暗い小路に立つ酒場へ行く。中年の女将が独り、迎えた。狭い小上がりの壁一面に墨絵が見えた。揆一郎さんが酔った勢いで、一気に描いたものだという。
「素晴らしい作品ですね」
と言うと、無口な女将が「うちの宝物です」と言い、微笑んだ。一瞬、揆一郎さんの作品『観音力疾走』の女性と重なった。夫が坑内事故に会ったと知らされ、「みっしょうかなりき」と誤って覚えた経文を唱える女……。何の脈絡もないのに、同じ匂いを感じたのだ。
この『観音力疾走』の主人公。実は最初は男性で、書名は「坑夫傅吉」だったという。書き上げて原稿を出版社に送ったところ、編集者から「主人公を女にして書き直してほしい」といわれ、苦労を重ねて仕上げたものと後で知った。
炭鉱街に生きる無知だが純な女と、乱暴者だが心根の優しい男の、夫婦の物語である。悲哀と情感をないまぜにして、異彩を放った。これが『伸予』の芥川賞へと繋がっていく。以後の作品もすべて炭鉱を舞台にしたもので、“炭鉱マン作家”といわれた。
亡くなって十数年が経つ。道内に数々あった炭鉱もいまはすべて潰れた。あの店も、もうない。残された画文集『帽灯に曳かれて』をめくり、余技の域を超えた絵を見ながら、国策により誕生し、そして破壊された炭鉱という存在は何だったのか、と考えた。
2021年3月26日
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