老楼快悔 第92話 横山孝雄・むつみ夫妻の笑顔

老楼快悔 第92話 横山孝雄・むつみ夫妻の笑顔


 横山孝雄さんと書いてもわかるまい。でも妻のむつみさんが、知里幸恵の姪で、登別の「知里幸恵銀のしずく記念館」の館長といえば、あぁ、と頷かれる方もおられよう。
 孝雄さんは漫画家、赤塚不二夫のアシスタントとして、人気漫画家を輩出したトキワ荘に通い、25年間勤めた後、独立して歴史やアイヌ文化を題材にした漫画を描き続けた。
 二人が結ばれたのは東京。アイヌ民族の団体「関東ウタリ会」で民族復権運動をするうちに知り合い結婚。空家のままだったむつみさんの故郷の登別の実家をリフォームして移り住み、1997年(平成9)に記念館を開館させた。
 何度か記念館を訪れた。そのたびに夫妻は笑顔で応じてくれた。孝雄さんは口数は少ないが、アイヌ民族の苦難の歴史を漫画で描写しようと懸命な仕事を続けていた。
 代表作は『イ シカリ神うねる河』(全2巻)。松浦武四郎の「近世蝦夷人物誌」を題材にしたものだ。もう一つが『アイヌ語イラスト辞典』で、どちらも作風の見事さにファンも多かった。
 その後、私家版『アイヌ語絵引き字引き』上下巻を出した。これはむつみさんの父で孝雄さんの義父に当たる知里高央(幸恵の弟、真志保の兄)の原書をもとにしたもの。愉快なのは出版社の名。「左巻山房」とあるが、これ、姓である「横山」をアイヌ語にしたもの。アイヌ語で「横になっている」は、サマッキ、「山」はヌプリ。このサマッキを漢字に直したわけだ。
 孝雄さんは同書の最後にこう書いている。
「もじったら“左巻山”になってしまいました」
 アイヌ民族の物語を漫画にしたいと思い、孝雄さんに「一緒に作品を作りましょう」と話したところ、「やりたいけれど、妻の体調が落ちつかないのでねぇ」と申し訳なさそうに述べた。それでもむつみさんは、夫を「 しばらくは大丈夫よ」と明るく後押しする。いたわり合うその姿に、何も知らずに、うかつだった、と悔やんだ。
 それからほどなく、むつみさんは亡くなった。そして3年後の2019年8月、孝雄さんが追いかけるように亡くなった。悪夢を見るような思いだった。
 アイヌ民族が「先住民族」と認定され、「アイヌ施策推進法」が制定されてからわずか4カ月後。無念の思いが胸を揺する。









 
2021年2月19日


老楼快悔トップページ
柏艪舎トップページ