老楼快悔 第91話 初出版の本「潮路」
よく、いつから本を書き出したのか、と問われる。実は、北海道新聞室蘭支社に勤務していた時、夕刊にも地方版が新設されることになった。編集部の部会で私から提案して、毎週土曜日の夕刊の片隅に囲い物をつくり、この地の人物を紹介する、表題は「潮路」とする、執筆は私、などを決めた。
連載を始めて1年ほど経ったころ、室蘭文芸協会の稲月蛍介会長から、「あのコーナー面白いですね。一冊にまとめませんか」と言われた。思ってもいなかっただけに驚いた。紙面に登場してくれた何人かに相談すると、誰もが「ぜひ実現させて」と答えた。
こうして1973年(昭和48)6月、『潮路』(企画発行・室蘭文芸協会)が発刊された。これが39歳の私の初著書である。
世の中には地道にひたすらわが道を歩んでいる人がいるが、ここに出てくるのはそんな人物ばかり。
料亭「常磐」でかつて慣らした小米という芸者が、いまは年老いてアパート暮らし。そこで地元経済界の有志が相談し、3万円、5万円と拠出し、集まった70万円を差し出したところ、老女は「人の情けはありがたいが、受け取ってはねぇ」と拒絶した。「人の世は金じゃないの、情けよ」というのが口癖だった老女の心情を思い、養老院に入るまで後見人を決めて、預かることにしたという話。
道議会議員選挙に当選したYさん(57歳)が1ヵ月後に突然、亡くなり、Yさんが経営する会社が不渡り手形を出して倒産した。負債は3億円、債権者は120人にのぼった。債権委員20人がビルを処分するなどして整理したが、1億円近くは返済のメドがつかない。だが「香典と思えば」といって債権を放棄する人が増えて何とか乗り切った。後日の偲ぶ会には300人もの人が集まり、その人柄を偲んだという話。
室蘭警察署のM捜査係長(56歳)のもとに婦女暴行罪で服役中のK(30歳)から悔悟の便りがまた届いた。若い女性を車に誘って車内で乱暴する事件を重ね、車のナンバーから足がつき逮捕された。被害者は10人にのぼった。懲役8年の刑を受けて服役。あれからもう4年になるが、いまも便りがくる。そこには毎回、「馬鹿だった。いくら悔やんでも悔やみきれない」と書かれていた。「たった一度の人生を台無しにしてから後悔する。もう少し早くそれに気づいてくれたら」と嘆くM係長の話。
さらには労働運動中に原爆症の妻を亡くした労組支部長(52歳)、盲導犬に助けられて働くマッサージ師、娘ばかり7人に囲まれて、毎日漁船に乗り込む漁業主(42歳)、ラッパを吹き鳴らし、「交通安全」を呼びかけながら飴を売る交通安全爺さん(74歳)、草野球のチームを率いる若い僧侶(37歳)、自宅に「鉄ん子文庫」と名づけた部屋を設け、毎週金曜日に本を貸し出す質屋の経営者(44歳)……などなど全部で55人を紹介した。
こうした人々と出会い、人生とは何か、生きるとは何かを教えられ、一緒になって涙ぐんだり、笑顔になったり……、そんなことを繰り返しながら、自分自身が周囲に育てられてきたのだと、いまになって、思う。
2021年2月12日
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