老楼快悔 第89話 「義経」との出会い

老楼快悔 第89話 「義経」との出会い


 義経の存在を意識したのは小学生のころ。担任の教師が歴史好きで、川中島の合戦や湊川の戦いなどについて話してくれた。心に残ったのが義経の少年時代の牛若丸の話。鞍馬山で天狗を相手に剣の腕を磨き、京の五条の大橋で、通行人から刀を奪い取る大男の弁慶を相手に立ち回る話は、学級の男子たちの喝采を浴びたものだ。
 そんな下地があってか、成人して道内を歩くうち、松前、乙部、函館、寿都、神威岬、石狩、そして道東の本別、斜里、羅臼、阿寒、釧路などに義経伝説があり、日高の平取には義経神社まで存在するのを知った。
 奥羽の平泉で死んだはずの義経が、逃れて蝦夷地へ渡ったという伝承は、早くから耳にしていたが、作り話と歯牙にもかけなかった。でも「義経再興説」が気になりだし、惹かれるように義経の足跡を訪ね歩いた。長い日程は取れないので、月に1回、2泊3日を重ねる旅となった。
 平泉の高館を起点に釜石へ抜け、陸中海岸を北上する。途中、内陸に入ったりしながら山田、宮古、久慈、八戸を辿る。ここから野辺地、青森を経て十三湖、三厩へ。各地に残る義経の痕跡を見ながら本州最後の地の三厩の地名が義経の蝦夷地渡りに絡んでいること、そしてこの地に建つ義経寺の「風祈り観音」は、蝦夷地へ向かう義経が祈ったものと知り、いささか興奮させられた。
 この踏査の段階で、積丹半島西側の神恵内に古い兜と刀が存在するのを知った。昭和初期に、半島沿いに点在する無数の洞窟内から人骨とともに発見されたものだが、これが平泉の高館の毛越寺に祭られている「義経の兜」によく似ているのに驚かされた。
 というわけで奥羽から蝦夷地まで、遺跡や古文書でつないだ「義経幻の旅」を、報知新聞にペンネームで連載させてもらった。ここから突然、話が飛躍する。
 札幌市在住の荒巻義雄さんは著名なSF作家だが、私とは同年齢のせいもあって、暇さえあれば事務所へ赴きお喋りする間柄。それが何かのはずみに「義経」の話になり、その果てに荒巻さんが「その連載を基に私のSFを組み合わせて面白い作品を作ろう」ということになった。
 発想の凄さに驚きながら、掲載された連載の切り抜きを差し出したら、1ヵ月も経たないうちに仕上げてしまった。その早さにまた驚かされた。
 こうして珍しい二人の共著『義経伝説推理行』(徳間文庫)は発刊された。1993年夏だから、もう27年も前になる。
 義経伝説は波のようなうねりを見せながら、何十年か置きにブームが起こる。古ぼけた自著の頁をめくりながら、また起こるであろう義経の幻を想起している。









 
2021年1月29日


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