老楼快悔 第86話 賀状と訃報が重なって

老楼快悔 第86話 賀状と訃報が重なって


 大晦日の夜、電話が何度か鳴った。取り上げたとたん、切れた。間違い電話かなと思い、気にもせずに新年を迎えた。
 二日夕、懐かしいI氏から電話がかかってきた。20年ほど前、仏教修行を共にした仲間の一人で、いまは静岡県に住み、僧職についている。
「S教授が大晦日に亡くなられた。それで電話を入れたのだが、つながらず、元旦にそんな電話もどうかと思い、今日になった」
 と述べた。あぁ、あの時の電話か、とすぐ納得した。
 S教授は、私たちが学んだ大学の教授で、京都府亀岡市の寺の住職でもある。卒業後、数人が教授を中心に、場所を変えて何回か修行をした。だがほどなく教授が認知症になってしまい、それっきりここ数年、連絡もないままに過ぎた。
 I氏の話によると、付き切りで介抱していた奥さんが3年前に病で倒れて亡くなった。優秀なひとり息子は東京の大学を卒業後、大阪の大学に勤め、結婚して家庭を持ち、時折、大阪から実家の寺に手伝いのためやってきているという。
「寺もどうなるかわからない。それで仲間たちに電話を入れたんだが、みんな老いてしまって話がまとまらない。諸行無常だね」
 結局、妙案も浮かばないまま、しばらく様子を見ようということになった。
 三日朝、二日遅れの年賀状に混じって、京都府のS教授から年賀状が届いた。息子と連名なので、おそらく大阪で大学教授をしている息子さんが、父と連名で賀状を書いたもの、と推察できた。
 それにしても、亡くなった人からの年賀状である。

「新しい年が素晴らしい一年でありますよう心からお祈り申し上げます」

 教授の名前を見ながら虚しさを覚えつつ、友の言う「諸行無常」の意味を改めて嚙みしめた。万物は常に変化して少しもとどまらない。
 教授の寺は今後、どうなっていくのか。大学教授である息子は、どう対応するのか。
「息子さんとしては京都の大学へ移りたいとの思いがあるので、そうなればS教授と同じような形で、教授と僧侶の“二足の草鞋”を履くことができるのだが」
 電話の先の友の声がくぐもった。
 その先どうなるかなど、わかろうはずもない。人間万事塞翁が馬。吉凶禍福は変転常なく、何が幸で何が不幸か予測しがたい、と『広辞苑』に記されているではないか。そう思いつつ、その言葉を、胸の奥深く呑み込んだ。





 
2021年1月8日


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