老楼快悔 第81話 「江戸っ子だってねぇ」虎造師匠の思い出
前号で歌手の伊藤久男さんの思い出話を書いたが、もう一人、忘れられないのが浪曲師の広沢虎造さん。やはり帯広劇場の公演前のひと時、楽屋で会った。
「おめぇさん、わけえねぇ、いくつだ、ふーんそーかい。じゃー、誰にも話したことのない話をしようじゃねぇか」
本当に驚いた。話す言葉がすでに浪曲調になっていて、いまにも「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」の粋なセリフが飛び出してきそうな口調なのだ。
「わたしゃ、この仕事をする前は時計屋に勤めていたと思いねぇ。東京駅が完成して、正面に時計を取り付ける仕事になって、屋上に上がったと思いねぇ」
はい、と答える。
「そこでひと節、唸ってみた。すると、下の方にいた通行人がみんな立ち止まって、わたしの声に聞きほれていた、ってわけだ」
それでー、声のいいのを見込まれて浪曲師に、というわけ。話芸にのせられて、ただ語られて、しまいになぜか気に入られて、「東京へ来た時は、電話をいれろ」「はいっ」と叫んでしまった。
そこへ外から、「師匠、出番が近いですよ」の声。会場の二階席へ駆け上がる。師匠が登場してう、唸りだす。
旅ゆかばぁ 駿河の国に 茶の香り…
おおっ、清水の次郎長ものだ。面白くて、楽しくて、気分がふわふわして。終わるとまた楽屋へ戻ったら、師匠、にっこり笑って、「いい原稿を書くんだぞ」と気合をかけられた。
会社に戻り、夜通しかけて原稿を書いて。朝、出社するなり、得意満面、部長に提出したら、ひと目見るなり、
「君、こんな原稿が通ると思うのか」
ぴしゃりとやられた。言われた話を並べただけじゃあ、面白くも可笑しくもないではないか。まして、こんな話、信用できるか、というわけ……。
「もう少し取材の仕方を勉強しろ」
一発、がちんとやられて、目が覚めたという、お粗末の一席。
2020年11月27日
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